2015年12月9日水曜日

明治維新だ!


 どうもこんにちは、松井塾塾長の松井です。

 さて本日は、明治維新について見ていきましょう。

 明治維新のいくつかの特徴を並べていきましょう。

 まず一つ目は、

 版籍奉還

 江戸川区ん「版籍奉還?」

 松井塾塾長「そう、いままでは、大名の持っている土地および人民は、すべて大名が所有しているという状況になっていた。しかしながら、大名の持っている土地・人民を国に全て返しましょうということになります。」

 篠崎くん「なんだか、公地公民制の頃に戻ってしまっているような状況ですね。」

 松井塾塾長「総その通り、そこでもう一つ覚えておかなければいけないのが、廃藩置県ということになります。この順番を間違えるとわけがわからなくなりますよ。」

 というわけで、松井塾その時どのようにして歴史が動いたのか?

 一八六九年

 大名を全て集めてお達しが出る状況になる。

 明治政府「みんなの持っている、土地と人民を一旦国にお返しください。でも、皆さん安心してください。皆さんが今までどおり統治をしてもらって大丈夫です。」

 大名たち「なんやよかったよかった。」

 ということになります。これが版籍奉還

 江戸川区ん「なんや、なんもかわらへんやん。」

 松井塾塾長「あまーい。詐欺師の戦法の一つはじめの要求は、大丈夫でも二番目の要求には、大変な事態が起こる。」

 一八七一年 廃藩置県が行われる。

 大名をすべて集めてお達しが出る。

 明治政府「みなさん今までの、藩という呼び方を変えて、県という呼び方に変えようと思います。しかしみなさん安心してください。今までどおり皆さんが、統治してください。」

 江戸川区ん「やっぱり何も変わらへんやん。」

 翌年

 明治政府「じゃあ、全員大名首ね。」

 篠崎くん「えーーーーー」

 大名たち「なんでいきなりそんなことをするんだ。むちゃくちゃじゃないか。」

 明治政府「何か問題でもありますか?問題があるのなら、もう一度戦争でもしますか?」

 大名たち「しまった。土地と人民は版籍奉還で返してしまっていたんだった。」

 松井塾塾長「とまぁこんな風に明治政府のやりたいようにやるという状況になってしまうわけですね。」

 というわけで結論

 1,一八六九年に土地と人民を返させる 版籍奉還



 2,一八七一年に藩から県に変更する。廃藩置県 

2015年12月3日木曜日

言語におけるグローバル化論???


 どうもこんにちは、道化師です。さて本日は、言語について見ていきたいと思います。

 よく道化師のことを誤解されている人がいるので、先にあらかじめ私のスタンスをお話しておきます。

 よく、道化師(松井塾塾長)のことを英語嫌いの人だとか、英語を非常に大切に思っているとか、グローバルスタンダード推進しているとか、日本大好き人間とか様々な人が様々な事を言っていますが、正直「言語なんてどうなろうがどうでもいい」という人です。

 例えば、もし、明日から大学受験で出される問題が、中国語になれば、中国語を教えますし、フランス語になればフランス語を教えます。

 自分の商売する場所が、中国なら、中国語を話しますし、タイならタイ語、ベトナムならベトナム語を話します。私が、きちんとした日本語を使えというのは、決して日本語が美しいと思っているからではなく、大学入試の点数で減点されないためです。

 という状況ですね。

 そこで、本日は、かなり違った味方の読解文章を見ていきましょう。

 世界が一つの言語で話しをされることは良くないという論法です。

 「近年、人文科学系や語学系の学科に多く出題されるパターンの一つですね。」

 まず、基本的に言語というのは、その国および国民のアイデンティティを表す道具の一つである。

 たとえそれが、少数の部族の間でしか使われないような、汎用性のない言語であったとしても、その言語は非常に有意義な意味を持つものであるということである。

 よって、英語・中国語などの広範囲で使える言語を世界標準とすることに関しては、反対であるという考え方。

 ところが、ここからの結論はおおよそにわけてパターンが分かれる。

 1,世界的に少数の言語を保存しておくよう努力するべきである。

 2,自然の成り行きに任せるべきである。

 3,そういう状況であったとしてもグローバル化している現代に合わせるためにも、ある程度の共通言語の重要性については考えるべきである。

 というような結論に持ってくる場合が多いでしょうね。

 1はかなりやっかいである。この部分は、世界的に見て少数言語の保存しておくべきであるというのが、論理的な展開をしてくるというよりも感情的な言い回しを使うことが非常に多いからである。

 例えば、ナチスドイツの少数民族迫害の話を無理やりこじつけてくるなどのケースが有り、話が分散してしまうケースが非常に多いですね。

 というわけで結論。

 「たとえほとんどの人が使わないような少数言語であったとしても大事だから保存しておけ。」

 道化師「私の英語力は、さほど高くはないですが、何を言っているのかは、わかるレベルですが、あえていいますが、早ければ五年以内遅くとも一〇年以内には、google翻訳の水準は私のレベルを超えると思っています。したがって、これからの大学生は、英語を勉強しなさいと言う前に、google翻訳の使い方を学びなさいというべきなのかもしれません。」

2015年12月1日火曜日

道化師の日本史(奈良時代4)


 どうもこんばんは、道化師です。

 さて本日は、飛鳥文化について見ていきたいと思います。

 飛鳥文化の特徴として覚えておかなければならないのは、そもそも飛鳥時代は、中国からのお寺を受け入れ始めたということにあります。

 その前は、なんでしたか?そう、古墳だったよね。

 つまり、どんなお寺があったのかというのを、しっかり覚えていきましょう。

 その時に誰が何を建てたのかをしっかり見ていこう。

 聖徳太子が建てたものとして

 四天王寺と法隆寺になりますね。

 じゃあ、蘇我馬子は?飛鳥寺を建てましたね。

 舒明天皇は何を建てましたか?百済大寺(くだらおおでら)を建てましたね。

 さて、もう一つよく間違えるポイントの一つとして、飛鳥時代のあとに来る文化、白鳳文化について見ていきましょう。ここで、大事になってくることは、白鳳文化は、等の影響を受けた文化ということになりますね。

 もう一度おさらいしましょう。奈良時代は、聖徳太子が、遣隋使小野妹子を送った頃、これは飛鳥時代でしたね。

 その次の白鳳文化は、お相撲さんではなくて、中国・唐の影響を受けた文化ということをしっかり覚えておきましょう。

 この辺は、センター試験でよく狙われますよ。

 さて、白鳳文化

 だれが、何を作ったのか見ていきましょう。

 まず、白鳳文化の代表的なものとしては、大官大寺(だいかんだいじ)と薬師寺(やくしじ)があります。

 大官大寺のほうは、あまり出てきませんね。

 白鳳文化(つまり、日本の横綱文化)は、薬師寺(辰吉丈一郎を倒した選手)を作り上げた。・・・・・・・というボケが、最近通じなくなってきている今日このごろ。

 白鳳文化についての主な作品は、薬師寺東塔(やくしじとうとう)・薬師寺金堂薬師三尊像(やくしじこんどうやくしさんぞんぞう)・そしてぜったい間違えるなよ。

 法隆寺金堂壁画は、白鳳文化だぞ。

 もう一度いいます。法隆寺は、飛鳥文化です。法隆寺金堂壁画は、白鳳文化です。

 そして、最後に、天平文化に行きましょう。

 天平文化の中心人物は、聖武天皇でしたよね。

 聖武天皇は、とにかく、仏教がなんとかしてくれる。仏教ならなんとかしてくれる。と思っていた人ですよね。

 そのため、鎮護国家(ちんごこっか)の思想にとりつかれます。

 鎮護国家の思想で、なんとか国を立てなおそうということをします。

 そこで、奈良時代には、南都6宗と言われる。仏教が誕生します。(南都6宗ときくと北斗の拳を思い出す私は、古いのでしょうか?)

 それでは、南都六宗についてみていきましょう。

 三論宗(さんろんしゅう)・成実宗(じょうじつしゅう)・法相宗(ほっそうしゅう)・華厳宗(けごんしゅう)・倶舎宗(くしゃしゅう)・律宗(りつしゅう)ということになりますね。

 天平文化の詳しい作品については、また次回にしますが、ポイントは、東大寺と唐招提寺を中心に覚えていけばいい。

 道化師「それにしても、奈良時代の文化は、いろんな文化があるのでめんどくさいですね。飛鳥文化・白鳳文化・天平文化というような形ですね。しっかり覚えていきましょう。とにかく大切なことは仏教だ。」

江戸幕府の滅亡


 どうもこんにちは、松井塾代表の松井です。

 さて本日は、江戸幕府の滅亡について見ていきたいと思います。

 篠崎くん「前回、薩長同盟によって、江戸幕府を倒そうっていう流れになっていたとおもうんですけど。」

 松井塾塾長「その通り、しかしながら、事実は小説よりも奇なりということで、その状況をしっかり見ていきましょう。」

 時は、1866年

 坂本龍馬の仲介によって、薩長同盟が結ばれた。

 薩摩藩藩士「今から、江戸幕府を倒しに行きましょう。」

 長州藩藩士「ようし、みんなで頑張ろう。今まで幕府で偉そうにしていた人に一発やったるわい。戦争だ。」

 江戸幕府(徳川慶喜)「あ、おれ幕府やめます。」

 これが、大政奉還です。

 篠崎くん「なんでやねん。www」「話が終わってしまったじゃないですか?」

 松井塾塾長「その通り。しかし、このままで話が終わらない。」

 長州藩✕薩摩藩✕徳川幕府の会談

 長州藩「徳川幕府は、反省が足りない。領地をすべて没収するべきである。」

 薩摩藩「加えて官職も全て返すべきである。これからは、薩摩と長州を中心として国を作っていくので、徳川幕府はおとなしくしておくように。」

 徳川慶喜「ふざけるな。そこまで言われて黙っていられるか?戦争だこのやろう」

 ということで勃発したのが戊辰戦争ということになります。

 江戸川区ん「おおーだいぶ革命戦争みたいになってきましたね。」

 松井塾塾長「ところが、この徳川慶喜とんでもないひとなんですよね。」

 戊辰戦争始まり

 さぁ、戦争だーーーー

 当日の夜中:徳川慶喜「やっぱり怖い。死にたくない。逃げ出そう。よし、逃げよう。」

 徳川家臣団「徳川慶喜様は、どこでしょうか。徳川慶喜様。」

 徳川慶喜江戸に無事帰国。

 篠崎くん「最悪ですね。」

 松井塾塾長「その通り最悪です。」

 こうして、戦いは無事終了したわけです。

 というわけで結論

 1,大政奉還で江戸幕府終了。

 2,戊辰戦争の開始。鳥羽伏見の戦いで、将軍まっさきに逃げる。

 

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