2015年11月30日月曜日

コージェネレーションについて


 どうもこんにちは、道化師です。

 長い間登場していませんでしたが、久々の更新です。

 さて本日は、コージェネレーションシステムについてのお話をしていきたいと思います。

 コージェネレーションシステムというのは、とその前に・・・

 まず、電気を発電したとします。

 電気を発電したとしても、その電気を、移動させることは、簡単にできますよね。

 ところが、電気を発電した時に発生する熱に関しては、移動することができません。

 そこで、電気を発電した時に発生した熱をうまく使おうと言うのが、コージェネレーションシステムということになります。

 コージェネレーションシステムを使えば、省エネルギー化を促進して、CO2削減に貢献できる素晴らしいものだというふうに簡単に言いますが、そんな簡単な話ではない。

 実際問題として、工場から発生する熱量は、十分にコージェネレーションシステムが活用されているのですが、家庭から出る熱量は十分に有効活用されていないという現状があります。

 ここが最大の問題点なのですが、家庭から出る無駄な熱量が非常に多いということですね。

 なんでもそうですが、日本ではすでに省エネルギー技術は限界の限界まで駆使しています。実際今問題となっているのは、家庭での省エネルギーということになるでしょうね。

 道化師:本当に省エネルギーというのは難しいですね。人々が便利になることと省エネルギーと言うのは相反する状況になりますので、これをどうやって、経済学的に解決していくのかというのが非常に難しいんでしょう。

2015年11月13日金曜日

道化師の日本史(奈良時代3)


 どうもこんにちは、道化師です。

 さて本日は、奈良時代の外交について見ていきましょう。

 奈良時代で重要になってくるのが、世界最強の国(現在の中国)唐との関係についてみていきましょう。

 まず、遣唐使についてですが、630年から894年まで続くことになります。

 基本的に唐との貿易(便宜上貿易とする)のルートに関しては、北路をとります。これは、朝鮮半島を経由して中国に到着するというルートですが、これが問題になります。

 新羅の日本の関係が悪化してしまいます。

 新羅との関係が悪化してしまうので、仕方なく南路を取るようになりますが、遭難したり事故が多発するという状況になります。その結果、894年頃には、日本の文化水準が唐に追いつくことになりますので、菅原道真の進言により、やめようということになります。

 次に新羅都の関係について見ていきましょう。

 新羅とは、663年の白村江の戦いで敗れて依頼長いこと険悪な関係が続くことになりますが、しばらくすると関係が修復されます。しかし、再び関係が悪化してしまうので、こちらは、779年頃から交流をやめてしまいます。

 もう一つ忘れてはいけないのが渤海(ぼっかい)

 渤海とは比較的友好的な関係が長く続きますが、特に入試には出てこないのでサラッと流します。

 というわけで、日本の大事な貿易国は、唐・新羅・渤海の3つが重要な貿易国です。

2015年11月12日木曜日

薩摩藩VSイギリス(薩英戦争)


 どうもこんにちは、松井塾塾長の松井です。

 さて本日は、薩英戦争についてみていきたいと思います。

 前回の生麦事件が起こったことから、当然のこととして、イギリスは薩摩藩に対して賠償金の支払いを要求してくることとなる。

 しかし、これを薩摩藩側は断固拒絶。

 というわけでイギリス艦隊と薩摩藩の薩英戦争が開始されるわけである。

 イギリス艦隊司令長官「薩摩の軍隊なんぞぼっこぼっこにしてやりますよ。どうせ、旧式の武器しか使えんような連中やろぼっこぼっこにしてやりますよ」

 篠崎くん「言われたい放題ですね。」

 一方島津藩

 島津藩「さてどうしよう誰を先頭にして戦いにすればいいのかがわからん。ここ200年近く戦争らいしい戦争がなかったからな。」

 島津藩「そうだ。あいつに任せるしかない。」

 呼ばれてきたのはこの人

 松井くん「およびですかーーー?」

 江戸川区ん「またあなたですか?」

 注意事項:歴史上の人物で不明な場合および特に入試などに出てこない場合松井くんと表記します。

 島津藩「この島津藩のために、英国との戦争の指揮をぜひ引き受けてほしい。」

 松井くん「正攻法の戦い方では100%敗北します。私の言うことを全面的に守るようにしてください。」

 まず基本的に、砲弾の射程距離が違います。相手は、200m先からうっても、当たりますが、こちらは、100メートル先から出ないと届かないという絶望的状況。

 さて、1863年薩英戦争の現場を見ていきましょう。

 1863年 某月某日 薩英戦争開始

 イギリス艦隊 

 遠方から砲撃するも薩摩藩らからの少しの反撃があるだけで特に何もなし。

 イギリス艦隊司令長官「よし、誰もうってこんな。チキンが民家に向けても50発ほど砲撃してやれ」

 すでに住民のすべてが避難を終えているので特に応答なし。

 イギリス艦隊司令長官「何やこんなもんか、城に向けて砲撃準備上陸部隊は上陸準備」

 武士「松井さんまだ、砲撃しないんですか?」

 松井くん「待機」

 武士「しかし、このままでは・・・・」

 松井くん「待機と言ったら待機」

 数時間後

 武士「松井さん攻撃はまだですか?」

 松井くん「まだだ。」

 そしてその時がやってきます。

 イギリス艦隊が完全に島津藩の砲撃の射程距離にはいったその時。

 松井くん「総員攻撃開始」

 100近くの大砲が一斉にイギリス艦隊に向けて砲撃される。

 イギリス艦隊「旗艦 大破。走行不能に陥りました。 他の艦隊も次々に被弾。第2砲撃が飛んできます。このままでは上陸できません」

 英国艦隊司令長官「馬鹿な!!!全軍撤退。」

 なめきっていたイギリス海軍の敗北という結果に終わります。

 という形で、薩英戦争は終りを迎えますが、薩摩藩はこの後賠償金を払うことにします。

 江戸川区ん「なんでですか?」

 松井塾塾長「薩摩藩は、この時の砲撃の距離および近代兵器の威力の違いを悟り、英国と講話し新たな技術を獲得することを選んだからです。まぁこれが後の日英同盟になっていくわけですが。」

 というわけで結論

 1,薩英戦争にて、旧式の武器で戦うも大方予想を覆し、薩摩藩勝利。しかし、薩摩藩は、賠償金の支払いに応じる。

ヘルメットやシートベルトはなぜ必要か?


 どうもこんにちは、道化師です。

 本日は、ヘルメットやシートベルトはなぜ必要なのかについて展開していこうかと思います。

 まず、基本的にヘルメットやシートベルトをしめていなくて、死んだとしても誰に迷惑をかけるわけでもない。死ぬのは自分だけなのだから何の問題もないだろうというような話が出てくることがあります。

 にも関わらず、警察官が、ヘルメットやシートベルトをしめていないと注意もしくは、罰金を取ってくるのはなぜだろうかという疑問になるでしょう。

 それが警察官の仕事だからで終わらせてはいけません。

 これらの制度を考えるときに社会的損失について考えなければなりません。

 社会的損失:個人の損失だけではなくて、社会全体として損失が発生する場合。法律によって規制することができるという考え方。

 この社会的損失は当然批判もありますが、できない人いい加減な人にあわせて法律及びシステムを作ることによって、社会の損失及び危険性を除外しようとするもの。

 例えば、先程の例であげるとすれば、シートベルトをしていないことによって、死亡及び事故を起こしてしまった場合、損失を被る人々は、病院関係者・健康保険の加入者全員・保険会社・加害者側(本来は軽い事故程度にすんだのが、重症になってしまうなどで、金銭的負担額が増えてしまうということ。)

 といったことが重要になってきます。つまり、シートベルトをしていなかったからといって自分の身が壊れるだけだから、他人には迷惑をかけていないという考え方そのものが誤りなので、シートベルトをするように国家として国民に指導しなさいという論理で、シートベルトを必要であるとされています。

 道化師「まぁ、私はクルマに乗ることはありませんので、どうでもいいんですが、自分は誰にも迷惑をかけていないと思って生活する人は傲慢だと思っています。人間生きてるだけで誰かに迷惑をかけているものですからね。いつも感謝の気持ちを持って欲しいと思いますよ。」

2015年11月10日火曜日

道化師の日本史(奈良時代2)


 どうもこんにちは道化師です。

さて本日は、道化師の日本史奈良時代2誰が権力を握るのかの後編へと進んでまいりたいと思います。

 藤原不比等の子どもたちが、死んでしまってからどうなったのかというと・・・

 橘諸兄(たちばなのもろえ)684年ー757年

 橘諸兄は、政権中枢にいることになりますが、ここに、吉備真備(きびのまきび)玄昉(げんぼう)などが、政権の中心を握っていきます。

 しかし、ここで有事が発生します。

 740年藤原広嗣の乱が起こります。しかしこれは、橘諸兄がなんとかすることになります。

 このようにあちこちで内乱が起こったために、聖武天皇は、大仏造営をしまくったのかもしれませんね。

 藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)706年ー764年

 藤原仲麻呂は、橘諸兄を引退するために画策します。

 そしてそれが見事成功。

 ところが、権力闘争で敗れた、橘諸兄の一族の一人である、橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)に反乱を起こされてしまいます。

 757年橘奈良麻呂の変を起こされてしまいます。

 これは鎮圧します。また、孝謙天皇の皇位を譲らさせ、自らは恵美押勝(えみのおしかつ)と名前を変えていきますが、ここで、孝謙天皇(こうけんてんのう)と道鏡(どうきょう)に反発されてしまいます。

 そこで、自らの権力をもう一度取り戻そうとして、764年恵美押勝の乱を起こしますが、一族もろとも滅亡させられてしまいます。

 そして、最後に残ったのが、道鏡(どうきょう)というお坊さん

 道鏡と孝謙天皇名前を改め称徳天皇(しょうとくてんのう)の政治になります。

 しかし、この道鏡権力に対する欲望が半端じゃない。自分が、天皇に取って代わろうとします。それもあろうことか、仏様のご加護があったという嘘までついて天皇となろうとする。

 当然この計画は、失敗に終わります。これが、宇佐八幡信託事件(うさはちまんしんたくじけん)

 これを、阻止したのが和気清麻呂(わけのきよまろ)

 そして、最後に、藤原百川(ふじわらのももかわ)によって、光仁天皇(こうにんてんのう)が擁立されて終わります。

 さてそれでは、もう一度権力の変遷を見ていきましょう。

 藤原不比等からの長屋王からの藤原不比等の子どもたちからの橘諸兄からの藤原仲麻呂(恵美押勝)からの道鏡からの藤原百川という順番になります。

 道化師「権力争いとは何時の時代でも、起こるものですね。自分が権力を手にしてすべてを支配したいみんなそんなふうに思うのかもしれませんね。まさに、権力とは麻薬ですね。」

2015年11月6日金曜日

薩摩VSイギリス 長州VS4カ国 外国と戦争だ。


 どうもこんにちは、松井塾塾長の松井です。

 さて本日は、薩英戦争と長州藩の戦争について見ていきましょう。

 ところで、長州といえば「俺はお前の噛ませ犬じゃない。」「アントニオ猪木に勝った日本人」ということで有名ですが、それは長州は長州でも長州力であって、長州藩ではありませんよ。

 江戸川区ん「先生例えが古すぎて何言っているのかわかりませんよ。いったい先生いくつですか?」

 松井塾塾長「28歳だよ。ただ、話が80代から5歳ぐらいまでの内容をすべて把握しているからね。というわけで薩英戦争について見ていきましょう。」

 1862年 某月某日 神奈川県(生麦村)にいたるまでから生麦村まで(生麦事件)

 薩摩藩の大名行列が通る。

 大名が通るところは基本的には、頭を下げてやり過ごさなければならない。という鉄のルールがある。

 薩摩藩武士「いやーマジだるい。鹿児島から江戸までむちゃくちゃ長いねん」

 薩摩藩武士「まぁでももうすぐ江戸やし何事もなければいいのにな。」

 薩摩藩武士「お、外国の人やん。大名行列やのになーーちゃんと避けてくれるかな?お前江戸弁喋れたやろお前言って説明してこいよ。」

 薩摩藩武士「なんで俺やねんおれ外国人とか話したことないし。琉球方面のことばやったら知ってるけど、イギリスとかしらんでマジで。」

 ユージン(イギリス人)「おう。大名行列だ。そうだった。日本の風習では確かそうだ。馬から降りて馬を端によせて、下馬して脱帽して頭を下げるんだったけ?」(ここまで完璧と言うか日本人よりすごい。)

 というわけで、ユージンは、その通りにすることになる。

 薩摩藩武士「おお、外国人すげぇちゃんと大名行列知ってるやん。」

 というわけで、外国人と薩摩藩の大名行列は無事に終わりましたとさ。

 篠崎くん「ちょっとまったーそれじゃあ生麦事件が起こってないじゃないですか?」

 松井塾塾長「ところが、その次にでてくる外国人が最悪なんだよ。」

 薩摩藩藩士「いやーさっきの外国人の態度完璧だったな。やはり日本も欧米に習わなければならないんではないか?」

 薩摩藩藩士「そうだね、これからはグローバルな時代に入ってきているということですね。」

 外国人一行「あはははは。まじうけるあはははは。大名行列。」

 薩摩藩藩士「すいません大名行列なので横に行ってください。横に行ってください。」ジェスチャーで対応

 外国人一行無視して通り過ぎる。

 薩摩藩藩士「無礼者。」(桜田門外の変のこともあって、警備体制がかなり厳戒になっているため非常に厳しい対応を取る。)

 篠崎くん「これって外国人が単に知らなかっただけじゃないの?」

 松井塾塾長「いや、それがどちらとも言えない。知っていてわざとやった可能性もある。先ほど出てきたユージンは、日本の文化を知っていて、日本という国に敬意を評しながら商売していた人だけど、この外国人は、日本のことを植民地ぐらいに思っていたので、どうして自分たちが通るところの道を大名ごときに譲らなければならないんだと思っていたのかもしれない。いずれにしても、桜田門外の変があった直後なので、大名が、みすみす殺されるなんてことはなんとしても避けたかったことだけは事実でしょうね?」

 松井塾塾長「どちらでもいいですが、皆さんも海外に行くときは気をつけましょう。その国にはその国の独自のルールがあり、それには100%の敬意を払うべきです。私は、海外に出かけるときは、絶対にやってはいけないことをキチンと聞いてから行くようにしています。日本人の精神である常に礼を忘れないことは大事だと思いますよ。」

 そして、当然イギリスは、薩摩藩に対して戦争をすることになる。

 ところが、この薩英戦争。日本が勝つことになるが、最終的には薩摩側が折れて和睦することになる。

 その話は、またこんど。というわけで結論

1,薩摩藩の大名行列をイギリス人が横切る。そして殺されるそれが生麦事件(1862年)

2015年11月5日木曜日

自然を守ろうは、自然を守れない?


 どうもこんにちは、道化師です。

 さて本日は、環境問題についてですが、かなり違った視点から見ていきたいと思います。

 さて、自然を守ろうという動きが非常に盛んになって約半世紀近くなりましたが、環境保全というのは、ただ単純に、すべての環境を守るというものではないということです。

 誰も、美しくもない自然だけど自然のままだから保存しておこうと言う人は殆どいないということになる。

 さてここで、問題になってくるのが、美しい自然があるとどうなるのかということですが、これが非常にやっかいになってきます。

 例えば、美しい自然があると、そこを保全しましょうということになる。

 当然美しい自然がそこにあるので、”観光客”が大量に増えることになる。

 ここからが問題。観光客が増えると、ホテル・道路・店などがどんどん増える。

 増えると自然が壊される。というなんとも皮肉な現象が起こってしまいます。

 だから、もし、世界文化遺産に登録されたとしましょう。

 当然、世界文化遺産に登録されたので、人が増える。観光客も増える。

 しかし、それが結果として自然を保持していくことが困難になるという状況になってしまいます。

 そこで、近年では、そういう状況も踏まえたうえで、いかにして自然のまま保存するのかということを議論するようにはなってきているが、非常に難しいでしょう。

 というわけで結論、自然保護に力を入れ過ぎると結果的に自然を壊してしまう危険性があるということ。それらを包括的に考えて、自然保護政策を打たないと効果はない。

 道化師「まぁ、自然保護というのは極めて地味でしんどい仕事ですね。ところで皆さんが思っている自然は全然自然じゃないことは良くありますよ。この前、友達と田舎の地域に行った時友達が、いやーやっぱ田舎は田んぼや畑があって、自然のままの風景が残っていていいよねと言ったが・・・田んぼや畑は、全然自然じゃねぇ人工物だよとツッコミを入れる今日このごろ。」

2015年11月4日水曜日

道化師の日本史(奈良時代1)


 どうもこんにちは、道化師です。

 さて本日は、奈良時代から中心に見ていきましょう。

 そもそも奈良時代を一言で表すとどんなふうになるのか?

 天皇とどれだけ仲良くなれるのか?

 ということになります。さて誰が、政権の中心になるのかしっかりと見ていきましょう。

 藤原不比等(ふじわらのふひと):659年ー720年

 藤原不比等、自分の娘光明子(こうみょうし)を天皇の皇后とすることで奈良時代の政権の中心にはいる。

 主な政策:701年大宝律令の完成 710年に平城京の遷都 718年養老律令を完成させる。

 次は誰かな?

 長屋王(ながやのおう):684年ー729年

 長屋王は、皇族の勢力ということになりますので、基本的に天皇中心の国造りを進めていこうとします。

 よって、荘園制度ではなく、公地公民制の維持ということに、全力を尽くしていきます。

 722年百万町歩の開墾計画(ひゃくまんちょうぶのかいこんけいかく)

 みんなで(人民の力をおもっいきり使って)かたっぱしらから、田んぼを開墾して開墾しまくろうという根性だのみの政策。

 当然無理ということになりますよね。後の方で、社会主義の体制の時にも書く予定ですが、天皇にすべての権力を集中させようとするのは、基本的には、社会主義の国家が国家にすべての権力を集中させようとするのと同じ行為をします。

 よって、天皇に権力を集中させようとすると、経済が悪くなる。しかし、天皇の権力を分散して、自由な経済活動を行わせると、国が乱れるという非常に難しいバランスの運営をしていかなければなりません。

 723年 三世一身の法(三世一身の法)

 新しく開墾した土地に関しては、3代までは、所有を認めるという法律。

 まぁこれもあまり効果が出ないという状況になる。

 729年:長屋王の変によって長屋王は、殺されてしまいます。

 次に出てくるのは誰でしょうか?

 そう。藤原不比等たちの4人の息子たち。

 武智麻呂(むちまろ)・房前(ふささき)・宇合(うまかい)・麻呂(まろ)

 ところが・・・この4人相次いで変死してしまうことになります。

 長屋王を殺した報いだったのでしょうかね?

 彼らは、伝染病に次々とかかってしまい死んでしまいます。

 というわけで、しっかりと覚えましょう。

 藤原不比等からの長屋王からの藤原の4人の息子たち

 道化師「人を呪わば穴二つですね。人を殺すということは、その人を殺した怨念で自分も穴に入らなければならない状況になるということですね。悪いことはできないものですね。」「ちなみに道化師は、占いなどのたぐいは全く信じていませんが。」

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