どうもこんばんは、道化師です。
さて、本日も現代文について学習していきましょう。
そもそも現代文について問題なんですが、理論が矛盾しているのではないかと思うことがたくさん出てきます。
では、それについて何を見つけていけばいいのかということを考えていきましょう。
命題について考える。
これが一番重要になっていきます。
命題:その文章が一番何を言いたいのかということを中心に考えていきます。
その命題がなんなのかということさえわかってしまえば簡単なことなんですが、これが非常にやっかいです。
例えば、今の子供達にとっては、ライン当たり前。
ネット当たり前ということになるのです。
また、ゲーム当たり前。読書大嫌い。
まぁ、こんなところになるのですが、はっきりいいましょう。
こういうことを全否定してきます。
まぁ、そもそも文章を書いている人々が旧勢力ということになりますので、大体のケースが昔の時代の肯定。
今の時代の否定という基本的戦法でやって来ます。
したがって、お父さんお母さんがなんとなくこうしなさいとかああしなさいと言っているようなことが正しくて、自分たちが思っていることが間違っていると考えると少しだけ、読解の文章が解きやすくなってきます。
こんな風に現代文を解いていくとおおよその流れがつかめるのですが、はっきり言って、かなりストレスがたまります。
もう一度いいますが、現代文を解くときは、親の言っていることが正しくて、自分の考えていることが間違い。
これらのことを守れれば現代文の読解が少しだけ強くなってくると思います。
というわけで本日の結論
論理的じゃない文章でもそれが出されたら論理だ。
篠崎にある松井塾の塾長が高校生・中学生向けに大学受験・高校受験を突破のために作られたブログになります。基本的には、入試で出された問題をベースにして勉強に親しみやすいものとなっております。ご覧になられた方には、賛否両論あると思われますが、何卒よろしくお願いいたします。
2016年8月3日水曜日
2016年8月2日火曜日
経営者を目指すならば労働基準法をしっかり勉強しよう。
どうもこんばんは、松井塾塾長の松井です。
さて、本日は、経営者を目指すなら労働基準法をしっかり勉強しようということでお話していきたいと思います。
松井塾長「で、ここが重要な事なんですが、労働基準法をしっかり学んでいない人がめっちゃ多い。と思う今日このごろなんですが、経営するなと思います。」
ここで、労働基準法の根本的な理念を学びましょう。
労働基準法は、労働者を守るための法律です。
じゃあ、なぜ、労働者を保護しなければいけないのかということになりますよね。
よく経営者が、勘違いしていることですが・・・
経営者「俺は若いころこんなにがんばったからこんなふうになった。俺は、こんなふうにがんばったとか」まぁ、いろいろいいます。
松井塾長「立派だと思いますし、尊敬もしています。そして、何より経営者が一番苦労されていることかもしれません。しかし、あえて言わさせていただくのならば、それはあなたの勝手です」ということです。
経営者は、どんだけ仕事してもいいんですよ。
死ぬほど仕事しようが、朝まで仕事しようが、24時間365日仕事しようが全く問題ないんです。
「好きでやっているんだから。」「嫌ならやめればいいんですよ。」
ここで、重要な事は、社員は違うよってこと。
社員は、人間なんですよ。経営者は人間じゃないですよ。
この国の人々は、いろいろ勘違いしているひとが多いのですが、この国では、役職や地位が上がれば上がるほど、給料も上がりますが、同時に基本的人権もなくなります。
つまり、エリートほどしんどい思いをしろってこと。
経営者は、いわば会社の中でのエリートという位置づけになります。
もちろんセーフティネット無いよ。労災無いよ。仕事をどれだけしても誰も文句言わないよ。
ということですね。
しかし、経営者や管理職は何を管理するんですか?
そう、社員の健康も管理しなければなりません。
したがって、社員が倒れないように、経営者が倒れてでもやるっていうのが、本来の労働基準法の目的。
まぁ、それだと回らないという事情については、また詳しくお話します。
つまり、労働時間を無制限にやるのは社長はご自由にやってください。
でも、社員はそれをしてはいけないんですよってことです。
それをそうならないように”しっかりと働かせるのが経営者”ということになります。
松井塾長「一応、経営者側の意見もお伝えしておきますが、そうはいっても、そんな簡単なことじゃないですよ。どうしてもブラックになってしまうことはありますし、人件費維持するのもしんどいですからね。」
松井塾長「まぁ、もし経営者を目指すなら、しっかりと勉強して欲しいと思います。自分が、労働者なら経営者の理想と現実というものをわかってあげて欲しいと思います。」
というわけで本日の結論
「経営者と社員は、別。一緒な働かせ方をしてはいけない。それが労働基準法。」
2016年8月1日月曜日
本当にみんなわかっているのだろうか?労働基準法?
どうもこんばんは、松井塾塾長の松井です。
さて、本日は労働基準法について勉強していきたいと思います。
労働基準法非常にめんどくさい法律です。
例えば、こんなケースどうなるでしょうか?
あ、一応お伝えしておきますが、私、法律家でも労働関係の専門家でもないので、ある程度間違いがあるかもしれませんが、ご了承ください。
職場において、制服に着替えて、労働の準備が基本的にできる状況にしてから、タイムカードを押しました。
違法?合法?
さぁ、どっち。
道化師「当然仕事につく人間として、事前に準備してから労働に入るのが基本なんだから、制服に着替えてから、タイムカードを押すのが当たり前のことではないですか?」
と、こんな感じになんとなぁーっく合法とか違法とか考えるのが問題だと言っているわけですね。
はっきりいいますが、これは、労働時間に含めなければなりません。
松井塾長「というか、こんな当たり前なことも知らないで経営しないで欲しいんですよね。」
ヘルメットをかぶるのも労働ですし、制服に着替えるのも労働です。器具や装備品の点検をするのも労働だからですね。
これがもし労働時間じゃないってなったら、器具を点検しているのは労働じゃないから安全面なんかどうでもいいって事になったら大変だろって思いますよね。
というわけで本日の大事なところは、タイムカードを押してから準備をするのが当たり前。
松井塾長「ほとんどの会社がやってないんじゃないですかね?」
2016年7月31日日曜日
労働ユニオン
どうもこんばんは、道化師です。
さて、本日は、労働ユニオンについて考えましょうということなんですが、労働ユニオン最近有名になっていますが、そもそも労働ユニオンってなんじゃいということになります。
道化師「一応、私のスタンスと言うか、松井塾長のスタンスなんですが、労働ユニオン大賛成です。」
松井塾長「私は、経営者ですが、別に人を雇っているわけでもないですし、ブラック企業の経営者になるつもりも今の段階ではないので、労働ユニオンについては賛成の立場です。というより、本来、あまりにも行き過ぎたブラック企業は、人命に関わるので、そもそもそういった人々を大量に出さないためにも、労働ユニオンというのは、必要になってくると思います。」
それでは、労働ユニオンとは、労働組合のこと
ただし、近年発足しているユニオンは、労働組合の御用組合ではなくて、個人個人がバラバラに加入する労働組合という形態をとっている場合が多い。
労働ユニオンの活動
ブラック企業などで違法な働き方をさせられている時に味方になってくれる組織ということになります。
近年この運動が非常に活発になっているということになります。
まぁ、確かに、労働条件が悪化しており、その影響で非常に理不尽な働き方をさせられている状況は多くなってきていますので、このような活動を是正するのは、非常に大事になってきますよね。
松井塾長「ただ、難しいのは、違法な労働ということになるのですが、労働基準法を完璧に遵守している会社というのは非常に少ないです。というよりも無知からくる労働基準法違反も多いですし、単純に悪意を持って労働基準法違反しているケースも多いので、なんとも言えない状況ですね。」
松井塾長「ただ、もうちょっと法律を勉強して労働者を使って欲しいとは思いますが・・・」
2016年7月30日土曜日
現代文あるある(話が矛盾しているけれども・・・)
どうもこんばんは、道化師です。
さて、本日は、読解問題をいかにして解くのかということになるのですが、今回は矛盾しているテーマとともにお送りしていきます。
題して「読書とは、双方向のツールである」という謎の理論
道化師「はいどうも。これ、意味不明な理論の一つです。」
はっきりいいますが、どういう意味ですかね?
読書や本が、双方向のツールなわけ無いだろうと思うのですが、双方向なツールなんです。
で、読解問題なんかを読んでいると、矛盾したことがよく書かれていると感じる人々はたくさんいると思うんですね。
ですが、これが読解問題で、読解て言うのは、あくまでも一方的押し付けから入っているんですよね。
で、何度も何度も何度もいうことですが、
「あなたがどのように考えるかとかは全くどうでもいいことです。」
で、こういうところで論理が矛盾を生じますが、その矛盾しているまま、無理やり解くしかありません。
例えば、今回のテーマの読書は双方向のメディアであるということなんですが、
読書は、表現する側と、読書をする側の双方によって、作り上げられる、双方向性メディアである。
筆者が描いた理想について、読書をする側が想像し、ふくらませていきそこに到達することを目的とする。
つまり、筆者の描いた社会的な正解に向けて読者が考えたどり着くことを目的とすることが大事である。
まぁ、こんな感じで問題が出てくるわけですよ。
これ要するに、何がいいたいのかって言うことなんですが、ひとことで言うと
「俺の言っていることは正解だけどお前にわかりやすく書く義理はないので、俺の描いた正解にたどり着けないのは、お前は読書をしていない。辿りつけた人は、読書をしている。そして、それは二人で築き上げたものだってこと。」
道化師「むちゃくちゃな理論ですが、なぜが読解問題ではよく出てきます。」
道化師「まぁ、すごい大きい子どもを相手にしている考えると解きやすいですね。」
大きい子どもの理論
「僕の言うこと悟ってくれないと嫌」
「僕の望む答えじゃないと嫌」
「僕の望む答えを言わない人は無知なる愚民」
「僕の望む答えを言った人は、僕の意見に振り回されたのではなく、自分の自由意志で言っただけ。」
「だから僕の言っていることは、正解なんだ。」
こんな感じでしょうかね????
道化師「で、これ非常にやっかいなことなんですが、日本の読解分のほとんどが、根拠を全く示してこないか、もしくは、根拠らしき物が捏造されているか、都合のいいデータをとっていることが非常に多いんですね。だ・か・ら、相手の意見が矛盾していると感じても我慢して解いてあげてください。」
というわけで本日の結論
読解問題では、「相手が何を言いたかったのかだけを考える。」
さて、本日は、読解問題をいかにして解くのかということになるのですが、今回は矛盾しているテーマとともにお送りしていきます。
題して「読書とは、双方向のツールである」という謎の理論
道化師「はいどうも。これ、意味不明な理論の一つです。」
はっきりいいますが、どういう意味ですかね?
読書や本が、双方向のツールなわけ無いだろうと思うのですが、双方向なツールなんです。
で、読解問題なんかを読んでいると、矛盾したことがよく書かれていると感じる人々はたくさんいると思うんですね。
ですが、これが読解問題で、読解て言うのは、あくまでも一方的押し付けから入っているんですよね。
で、何度も何度も何度もいうことですが、
「あなたがどのように考えるかとかは全くどうでもいいことです。」
で、こういうところで論理が矛盾を生じますが、その矛盾しているまま、無理やり解くしかありません。
例えば、今回のテーマの読書は双方向のメディアであるということなんですが、
読書は、表現する側と、読書をする側の双方によって、作り上げられる、双方向性メディアである。
筆者が描いた理想について、読書をする側が想像し、ふくらませていきそこに到達することを目的とする。
つまり、筆者の描いた社会的な正解に向けて読者が考えたどり着くことを目的とすることが大事である。
まぁ、こんな感じで問題が出てくるわけですよ。
これ要するに、何がいいたいのかって言うことなんですが、ひとことで言うと
「俺の言っていることは正解だけどお前にわかりやすく書く義理はないので、俺の描いた正解にたどり着けないのは、お前は読書をしていない。辿りつけた人は、読書をしている。そして、それは二人で築き上げたものだってこと。」
道化師「むちゃくちゃな理論ですが、なぜが読解問題ではよく出てきます。」
道化師「まぁ、すごい大きい子どもを相手にしている考えると解きやすいですね。」
大きい子どもの理論
「僕の言うこと悟ってくれないと嫌」
「僕の望む答えじゃないと嫌」
「僕の望む答えを言わない人は無知なる愚民」
「僕の望む答えを言った人は、僕の意見に振り回されたのではなく、自分の自由意志で言っただけ。」
「だから僕の言っていることは、正解なんだ。」
こんな感じでしょうかね????
道化師「で、これ非常にやっかいなことなんですが、日本の読解分のほとんどが、根拠を全く示してこないか、もしくは、根拠らしき物が捏造されているか、都合のいいデータをとっていることが非常に多いんですね。だ・か・ら、相手の意見が矛盾していると感じても我慢して解いてあげてください。」
というわけで本日の結論
読解問題では、「相手が何を言いたかったのかだけを考える。」
2016年7月29日金曜日
ブログ記念300回スペシャル
どうもこんばんは、松井塾塾長の松井です。
さて、本日は、どういったことをお話していこうかなと思ったんですが、特に思いついていることもないのですが、本日のテーマは、これからの日本は、こんなふうになるんじゃないかなぁという予測にもとづいていきたいと思います。
これからはどんなふうになるのかということなのですが、個人の力が絶対的にものをいう時代になるのではないかと思います。
例えば、そんな社会で重要視されるものは、目配り・気配り・心配りかなぁ、と個人的には思っています。
これは、なかなか機械に取って代わられることはないでしょう。
さて、インターネットで物を買うときにレビューがついていますよね。
あれが、人間にもつくようになったりするのかなぁというふうに個人的に思います。
例えば、これからは、雇う・雇われるという時代ではなくなってくるので、全てが外注する時代へと突入していくのではないかと思っています。
その時に、どんな人で、どれくらいの能力があるのかって気になりますよね。
顔とか性別とか、年齢とか、これが全部インターネット上に出されて仕事を受注するような時代になったら・・・
プライバシーもへったくれも関係ない世の中になってしまいますね。
まぁ、どこまでなるのかはわかりませんが、スマホの革命って実はそれぐらい恐ろしいパラダイムシフトが起こっているということになるんですが、このことにさて、何人ぐらいの人が気がついているんでしょうかね?
というわけで結論
できない人を注意しない・注意できない時代は、本当は弱者にとって不利なんじゃないかと思う今日このごろ。
というわけで、本日は、このぐらいで。
全く文章がまとまりのない状態ですね。
さて、本日は、どういったことをお話していこうかなと思ったんですが、特に思いついていることもないのですが、本日のテーマは、これからの日本は、こんなふうになるんじゃないかなぁという予測にもとづいていきたいと思います。
これからはどんなふうになるのかということなのですが、個人の力が絶対的にものをいう時代になるのではないかと思います。
例えば、そんな社会で重要視されるものは、目配り・気配り・心配りかなぁ、と個人的には思っています。
これは、なかなか機械に取って代わられることはないでしょう。
さて、インターネットで物を買うときにレビューがついていますよね。
あれが、人間にもつくようになったりするのかなぁというふうに個人的に思います。
例えば、これからは、雇う・雇われるという時代ではなくなってくるので、全てが外注する時代へと突入していくのではないかと思っています。
その時に、どんな人で、どれくらいの能力があるのかって気になりますよね。
顔とか性別とか、年齢とか、これが全部インターネット上に出されて仕事を受注するような時代になったら・・・
プライバシーもへったくれも関係ない世の中になってしまいますね。
まぁ、どこまでなるのかはわかりませんが、スマホの革命って実はそれぐらい恐ろしいパラダイムシフトが起こっているということになるんですが、このことにさて、何人ぐらいの人が気がついているんでしょうかね?
というわけで結論
できない人を注意しない・注意できない時代は、本当は弱者にとって不利なんじゃないかと思う今日このごろ。
というわけで、本日は、このぐらいで。
全く文章がまとまりのない状態ですね。
2016年7月28日木曜日
努力をしてきたみんなへ(松井先生から本当に言いたいこと!!!)
どうもこんばんは、松井塾塾長の松井です。
さて、本日は、松井塾長の雑談ということでお話していきたいと思います。
松井先生「自分で言うのも何ですが、私の生徒たちは非常に努力家が多い。自ら考え・自ら行動し・自ら課題を発見し・自ら誰よりも努力している。そんな生徒を作っていきたいと思って塾をやって来ましたが、本当に良かったなぁ、と思うときは、こんな時です。」
松井先生「しかし、ここで、皆さんは気が付かなければなりません。自分が努力する人間になればなるほど、自分が普通の人間からは離れてしまっていることを・・・」
松井先生「松井先生を見ていると、無尽蔵な努力・絶対的な努力・圧倒的な根性というのを見ていると思います。しかし、そうすると、皆さんは、あることを失ってしまいます。」
それは、
「努力することが当たり前ではないということ」
おいおいお前何言ってんだと思うでしょう。
松井先生「確かに、皆さんは私のもとで、努力することを学びました。努力する大切さを学びました。そして、努力とは、本来アタリマエのことにすぎないということも学びました。」
し・か・し
松井先生「忘れてはいけないのは、だからといって社会に出た時に努力しない人を切り捨ててはいけないということです。」
松井先生「私は、これまで多くの優秀な人々を見てきました。しかし、彼らはみんな努力が大好きです。で、上司になってつまづきます。」
努力が嫌いな人々がいるという現実の壁にぶつかります。
松井先生「そこで、大切な気持ちっていうのは、許してあげるという優しさ・思いやり・できない人をありのまま愛してあげるということ。」
松井先生「簡単なことではないですよ。自分が努力してきた人間であればあるほどしんどいです。しかし、ここで、思考の変更をしなければなりません。どうやって、やる気にさせようか?どうやって、やる気を出させようか?とそれには、必ず許してあげるという優しさが必要になります。」
松井先生「しかし、この優しさというのが何なのかは、松井塾では教えられることができません。本当はおしえているのですが・・・。いまは何を言っているのかわかりませんが、いずれわかる日が来るかもしれません。」
優しさとは、相手の仕事を楽にさせることではありません。
無理な仕事で傷めつけることでもありません。
中途半端にすることでもありません。
優しさとは目に見えないものです。
眼に見えないからどうでもいいってわけでもありません。
何のことかわからない?
それを探していくのが勉強です。
「自分に厳しく人に優しく」「言うのは簡単だが難しい。」
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