2016年7月30日土曜日

現代文あるある(話が矛盾しているけれども・・・)

どうもこんばんは、道化師です。

さて、本日は、読解問題をいかにして解くのかということになるのですが、今回は矛盾しているテーマとともにお送りしていきます。

題して「読書とは、双方向のツールである」という謎の理論

道化師「はいどうも。これ、意味不明な理論の一つです。」

はっきりいいますが、どういう意味ですかね?

読書や本が、双方向のツールなわけ無いだろうと思うのですが、双方向なツールなんです。

で、読解問題なんかを読んでいると、矛盾したことがよく書かれていると感じる人々はたくさんいると思うんですね。

ですが、これが読解問題で、読解て言うのは、あくまでも一方的押し付けから入っているんですよね。

で、何度も何度も何度もいうことですが、

「あなたがどのように考えるかとかは全くどうでもいいことです。」

で、こういうところで論理が矛盾を生じますが、その矛盾しているまま、無理やり解くしかありません。

例えば、今回のテーマの読書は双方向のメディアであるということなんですが、

読書は、表現する側と、読書をする側の双方によって、作り上げられる、双方向性メディアである。

筆者が描いた理想について、読書をする側が想像し、ふくらませていきそこに到達することを目的とする。

つまり、筆者の描いた社会的な正解に向けて読者が考えたどり着くことを目的とすることが大事である。

まぁ、こんな感じで問題が出てくるわけですよ。

これ要するに、何がいいたいのかって言うことなんですが、ひとことで言うと

「俺の言っていることは正解だけどお前にわかりやすく書く義理はないので、俺の描いた正解にたどり着けないのは、お前は読書をしていない。辿りつけた人は、読書をしている。そして、それは二人で築き上げたものだってこと。」

道化師「むちゃくちゃな理論ですが、なぜが読解問題ではよく出てきます。」

道化師「まぁ、すごい大きい子どもを相手にしている考えると解きやすいですね。」

大きい子どもの理論

「僕の言うこと悟ってくれないと嫌」

「僕の望む答えじゃないと嫌」

「僕の望む答えを言わない人は無知なる愚民」

「僕の望む答えを言った人は、僕の意見に振り回されたのではなく、自分の自由意志で言っただけ。」

「だから僕の言っていることは、正解なんだ。」

こんな感じでしょうかね????

道化師「で、これ非常にやっかいなことなんですが、日本の読解分のほとんどが、根拠を全く示してこないか、もしくは、根拠らしき物が捏造されているか、都合のいいデータをとっていることが非常に多いんですね。だ・か・ら、相手の意見が矛盾していると感じても我慢して解いてあげてください。」

というわけで本日の結論

読解問題では、「相手が何を言いたかったのかだけを考える。」

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