2015年11月4日水曜日

道化師の日本史(奈良時代1)


 どうもこんにちは、道化師です。

 さて本日は、奈良時代から中心に見ていきましょう。

 そもそも奈良時代を一言で表すとどんなふうになるのか?

 天皇とどれだけ仲良くなれるのか?

 ということになります。さて誰が、政権の中心になるのかしっかりと見ていきましょう。

 藤原不比等(ふじわらのふひと):659年ー720年

 藤原不比等、自分の娘光明子(こうみょうし)を天皇の皇后とすることで奈良時代の政権の中心にはいる。

 主な政策:701年大宝律令の完成 710年に平城京の遷都 718年養老律令を完成させる。

 次は誰かな?

 長屋王(ながやのおう):684年ー729年

 長屋王は、皇族の勢力ということになりますので、基本的に天皇中心の国造りを進めていこうとします。

 よって、荘園制度ではなく、公地公民制の維持ということに、全力を尽くしていきます。

 722年百万町歩の開墾計画(ひゃくまんちょうぶのかいこんけいかく)

 みんなで(人民の力をおもっいきり使って)かたっぱしらから、田んぼを開墾して開墾しまくろうという根性だのみの政策。

 当然無理ということになりますよね。後の方で、社会主義の体制の時にも書く予定ですが、天皇にすべての権力を集中させようとするのは、基本的には、社会主義の国家が国家にすべての権力を集中させようとするのと同じ行為をします。

 よって、天皇に権力を集中させようとすると、経済が悪くなる。しかし、天皇の権力を分散して、自由な経済活動を行わせると、国が乱れるという非常に難しいバランスの運営をしていかなければなりません。

 723年 三世一身の法(三世一身の法)

 新しく開墾した土地に関しては、3代までは、所有を認めるという法律。

 まぁこれもあまり効果が出ないという状況になる。

 729年:長屋王の変によって長屋王は、殺されてしまいます。

 次に出てくるのは誰でしょうか?

 そう。藤原不比等たちの4人の息子たち。

 武智麻呂(むちまろ)・房前(ふささき)・宇合(うまかい)・麻呂(まろ)

 ところが・・・この4人相次いで変死してしまうことになります。

 長屋王を殺した報いだったのでしょうかね?

 彼らは、伝染病に次々とかかってしまい死んでしまいます。

 というわけで、しっかりと覚えましょう。

 藤原不比等からの長屋王からの藤原の4人の息子たち

 道化師「人を呪わば穴二つですね。人を殺すということは、その人を殺した怨念で自分も穴に入らなければならない状況になるということですね。悪いことはできないものですね。」「ちなみに道化師は、占いなどのたぐいは全く信じていませんが。」

このブログで読まれている記事