2015年10月28日水曜日

外国人を排除する動き(幕末の日本)


 どうもこんにちは、松井塾塾長の松井です。

 さて本日は、尊皇攘夷運動について見ていきましょう。

 尊皇攘夷運動とは、尊王(天皇を尊ぶ考え方)攘夷(外国勢力をうちほろぼすということ。)

 篠崎くん「鎖国の時代が長かったからやっぱり日本人全員抵抗があるみたいですね。」

 松井塾塾長「その通り。ところがそんな簡単な問題でもない。」

 まず、ハリスとの外交の結果、日米修好通商条約が締結されたが、当然のことながら、反対意見が続出することになる。

 吉田松陰「井伊直弼はおかしい。通商条約に対しては断固反対するべきではないだろうか?」

 というような意見があっちこっちで起こることになる。

 しかし、その意見を、井伊直弼は、

 井伊直弼「あ、俺に反対する奴死刑ね。」という感じでバンバン処罰していってしまう。

 これが、安政の大獄ということになります。

 江戸川区ん「なるほど、そしてそういう武力的なやり方は当然反発を招くので、井伊直弼は桜田門外の変で暗殺されるということになるんですね。」

 松井塾塾長「そう。その通り、しかし、この桜田門外の変はかなりボケた事件だということを頭にいれておきましょう。」

 1860年 桜田門外の変

 松井くん「ご報告申し上げます。江戸付近にて不信人物これあり。」

 井伊直弼「あ、そう。」

 2時間後

 松井くん「ご報告申し上げます。江戸付近にて不信人物あり。狙いは、井伊直弼様と思われます。」

 井伊直弼「あ、そう」

 2時間後

 松井くん「ご報告申し上げます。江戸付近にて不信人物あり。井伊直弼の大名行列に襲撃の企てこれあり。」

 井伊直弼「あ、そう」

 2時間後

 井伊直弼の守備隊の状態。

 刀に袋をかぶせて警備(当日雨や雪に濡れるのが嫌だったので、袋をかぶせている。)

 雨に濡れるのが嫌なので、雨よけの帽子と、かっぱをきている。(雨よけの帽子をかぶることで視界が悪くなり、ものが見えにくくなる。かっぱをつけることで、襲撃からの攻撃に対して動きが鈍くなる。)

 という万全の警備体制で桜田門に向かいます。

 江戸川区ん「ちょっとまってーーーなんで、何回も警告されているのに無視する上に、襲撃してくれという状況で警備してるんですか?」

 松井塾塾長「たぶん平和ぼけしてたんでしょうね。」

 というわけで結論

 1,井伊直弼 反対するものを皆殺しにする。安政の大獄

 2,安政の大獄からの報復で桜田門外の変が1860年に起こる。警備がずさんすぎる。

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