2017年1月6日金曜日

意味のない勉強にこそ意味がある?

どうもこんばんは、松井塾長の松井です。

さて、本日のテーマはこちら。

意味のない勉強について話をしていきましょう。

例えば、よく勉強しない人の言い訳として、こんなのがあるよね。

古典なんか勉強してなんになるんだとか?

英語の単語の勉強をしてなんになるんだとか?

こういう意見、よく聞きますね。

松井塾長「では、ここでもう一つ聞きたい。」

松井塾長「ゲームをすることに何の意味があるのか?」

松井塾長「テレビを見ることに何の意味があるのか?」

松井塾長「カードゲームをすることに何の意味があるのか?」

松井塾長「ネットで動画を見たり、ゲームを見ることに何の意味があるのか?」

松井塾長「なぜ、勉強以外の無駄なことは無駄だと言わないのに、勉強に関しては無駄なのか無駄じゃないかで判断するのかわからない。」

ということです。

松井塾長「ここで、私が言いたいことは、こういうことが無駄なんだからヤメればいいだろといいたいわけではなくて、単純に世の中のほとんどのことは、無駄なことの塊で、できているんじゃないかということ。」

遊びのためのことは無駄じゃないのに、勉強に関しては、無駄だと言ってやらない。

おかしくないか?

その考え方。

もう一度、考え方を変えてみよう。

古典を学ぶ意味はと聞かれれば、大学受験に合格するため。

目的はあるよね。

ゲームをする目的は何かと聞かれれば、楽しいから。

楽しいって何?

なぜ、それが楽しいと思える?

それは、ほんとうに楽しいのか?

それは、そして、いまやらなければならないことなのか?

ということを突き詰めて考えていくと、衣・食・住以外何もこの世界にいらなくない?

ということになる。

松井塾長「それって味気なくない?」

というわけで本日の結論

学問は、無駄の塊である。

無駄な学問こそ重要なのかもしれない。

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