2018年4月19日木曜日

体罰問題について

 「松井先生のことをたまに金八先生や、スクールウォーズや、ルーキーズの先生のように言われることがあるが、全員大嫌いです。松井塾長です。」

 それでは、本日のテーマはこちら。

 「体罰問題について」ということになります。

 松井塾長「まぁ、最近、学校では問題になる事件が多いですね。はっきり言って、学校の先生って大変だなぁーーーと思っています。」

 では、松井塾長の体罰についての見解についてお話していきましょう。

 注意事項:学校に関しては、私はいうつもりはありません。学校と塾では運営方法及び生徒の問題に関して、まったく別の組織なので、あくまでも、松井塾の教育方針としてお伝えしております。

 道化師「それでは、松井塾長どうぞ。」

 松井塾長「体罰に関しては絶対反対です。塾の先生を長くやっていますが、暴力をふるったことは無いです。そして、指導者としてのポリシーとして体罰は絶対にしません。」

 道化師「それは、なぜですか?」

 松井塾長「はい。では、お答えしましょう。暴力でしかわからないような人間は、勉強をする価値が無いからです!!!」

 道化師「また、ぶった切りますね。」

 松井塾長「そもそも、明治政府ができ、近代国家が成立してから、民主主義というものがこの国では発展していきましたね???」

 道化師「はいはい。」

 松井塾長「そこで、西南戦争や函館五稜郭の戦い以降、人々は言論による統治システムを完成していきました。」

 道化師「はいはい。」

 松井塾長「ということは、ルールを作り、ルールを守り、ルールの中で生きていき戦争や暴力的な破壊活動をしないというために勉強があるわけです。」

 道化師「なるほどーーー。」

 松井塾長「でだ。その近代に入って、ルールも暴力を使わなければ守れないという人間に、はたして勉強をする意味があるのかってことだ。」

 道化師「そういうことになりますね。」

 松井塾長「というわけなので、暴力を使わなければ改善しない時点で勉強の道をあきらめてください。ということになる。」

 道化師「ふふふ。」

 松井塾長「さらに、こっからが大事なことなんだが、人間の定義ってなんだってはなしだ。」

 松井塾長「人間の定義っていうのは、ホモ・サピエンス(つまり、知恵のあるもの)ということになる。」

 松井塾長「この知恵っていうのは、因数分解ができたり、英語ができるっていうことを知恵っていうわけではなくて、仕事の技能があるとか、学問的な知識をもっている。ということになる。」

 松井塾長「ということで、仕事にしろ勉強にしろ、そもそも”学ぶ”意識がないもしくは、”学ぶ”気持ちがないという時点でそれは、もはや、人間という定義に外れてしまうということになる。」

 道化師「なるほどーーー。」

 松井塾長「まぁ、要するに、”学ぶ”もしくは、”学び続ける”ということは、生涯にわたって、アタリマエのこととしてやらなければならないということになる。

 道化師「はいはい。」

 松井塾長「で、ここからが、本題になるんだが、君たちが大人になるまでに覚えておかなければいけないのは・・・」

 松井塾長「もう年だからとか・そんな能力はないとか・無理だとか言って、”学び続ける”ことをあきらめるようなクソなおとなになるなってことだ!!!」

 松井塾長「”失敗”や”バカ”なのが問題なんじゃない。仕事や学問で学び続けることを辞めるのが問題なんだ!!!」

 松井塾長「というわけで、話がかなり脱線してしまったが・・・」

 本日の結論はこちら。

 「”学び続ける”ことは、アタリマエのことである。」

 「体罰をされなければ学ばないようなら、学問をやる資格はない。」

 「言い訳をして、学び続けるのを辞めるような大人になったら、それはもう松井塾の生徒ではない!!!」

 

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