「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな。成功すれば成功するほど、頭を下げる人になるということ。松井塾長の好きな言葉です。」
さて、本日のテーマはこちら。
平民宰相・原敬内閣についての解説になります。
原敬内閣・藩閥政治ではない初めての民衆から支持された内閣総理大臣ということになります。
1918年に組閣された原内閣の総理大臣
前年に、米騒動において対応を間違えた、寺内正毅内閣が総辞職した後にできた内閣。
で、本日は、この原敬先生についてみていきましょう。
松井塾長「この人も、たいがい、意味不明な人ですwww」
松井塾長「世の中のすごい人は、絶対に挫折しまくっているか、問題児なのかなんなのかよくわかりません。」
原敬の昔
まず、現在でいうところの東京大学法学部を学年で2番の順位で入学します。
ですが、退学処分になります。教授陣と揉めたそうです。www
そして、半年ほど、フランス語を適当に勉強して、フランス語の通訳をします。
ですが、上司と反りが合わなかったので、3年ぐらいでやめます。
ところが、次の就職先はすぐに決まり、そこで働いていますが・・・
なぜか、外務省の高官に目をつけられますwww(あいつなんかめちゃくちゃ優秀じゃね???)
というわけで、原敬は、なぜか民間から突然外務省に入ります。そして、10年で外務次官(事実上のトップ)になりますが・・・
気に入らないやつが、外務大臣になったので辞めます。
という怪物ぶりが披露されます。
さらに、だったら政治家になってやるということで、政治家になります。
そして、そこから18年の歳月を経てついに総理大臣になってしまうということです。
道化師「まぁ、軽く書いただけでも怪物ぶりが思いっきり発揮されてますね。」
原敬内閣は、基本的には田中角栄先生と同じです。「数は力・力は金なり。」ということで、金をバンバン集めて、金をバンバン配り勢力を拡大するという手法。
道化師「まぁ、日本の景気は良かったんですが・・・。」
いつものようにいつもの通り・・・
暗殺されます。
そして、暗殺されて・・・
西園寺公望(さいおんじきんもち)(原敬のことが大嫌い)「原敬は、他人のために金は使うが、自分の私腹をこやすようなおとこじゃねぇ!!!」
山県有朋(やまがたありとも)(原敬のことが大嫌い)「原敬のような男がいなくなってしまったら、この日本の将来は暗い!!!」
さて、当の原敬は、新聞や雑誌などで「賄賂政治家と叩かれまくるわけですが・・・」
原敬はというと、「・・・・・・・・。」生涯沈黙を守り続けたそう。
というわけで本日の結論
「言いたいこともあるだろう。耐え難いこともあるだろうが、黙って歩くのが男の道。」