2017年6月7日水曜日

学校運営の難しさ

どうもこんばんは、松井塾長の松井です。

さて、本日のテーマはこちら。

松井塾長「学校運営の難しさ」

ということになります。

松井塾長「松井塾では、学校に関する批判は基本的にNGとしています。理由はいくつかあるのですが、時間の無駄だからです。と言うのもありますが、そもそも学校の運営は難しいということになります。」

松井塾長「以前にもお伝えしましたが、基本的に、行政機関の仕事は何をするのかを明確に法律に書かない場合は、行政機関として全く機能しません。」

例えば、小学校の目的

四則計算を規定時間までに終わらせる。

とか、

中学生の目的

文部科学省が規定した所定のテストにおいて合格点を取らせること。

といったように、明確な目標指針が書かれていない場合は、現場は何をやっていいのかよくわからない。ということになります。

もし、学校の目的が、上に書いたようなきちんとした目標指針が確立された場合は、学校の運営はものすごく簡単になる。

ところが、実際に書かれているのは、学校教育法21条に規定されている。興味のある人は、いかを参照してください。

学校教育法(21条を参照してください。)

まぁ、要するに、地域を愛し、国を愛し、平和を愛し、読書して、計算力を高めつつ、文化芸術に対しての理解を深め、職業に興味をもたせ、自然に対して慈しむ心を育み、家庭生活を円滑に行えるような人間に育てること。

っていうこと。

松井塾長「できるか!!!」

松井塾長「学校は、万能薬かなんかか?」

松井塾長「で、これを全部学校の先生がやれるのかという話なんだが、できるわけ無いだろって話になる。」

松井塾長「で、これを明確な基準を設定しなければいけないんだが、この明確な基準が無い。」

松井塾長「では、どうなるかというと、ごちゃごちゃとした状況でなんとなくやるしかなくなる。」

これが、塾と学校の根本的な違いということになる。

例えば、松井塾では、家庭のことや、家庭の方針に関しては、極力かかわらないようにしている。また、医学的な専門的判断を迫られる場合も、やはり、松井塾では関与しないという方針を貫いている。

ということが、学習塾ではできるが、はたして、学校ができるのかというとそういう問題ではない。

つまり、明確な線引が学校ではできないという厄介さにある。

松井塾長「ということなので、学校の先生はどんどん疲弊してしまうので、いちいちしょうもないことで学校にクレームを入れるなということを松井塾では推奨している。もしも、学問のことで、問題があるなら、俺を使え!!!肉体の限界と時間の限界まで対策しよう。」と言っているのはそのため。

というわけで本日の結論

道化師「学校の先生は疲れているので、些細なクレームはやめよう。」

松井塾長「なんで、君が出てくるのwww」

道化師「松井塾長は、何を言ってもまぁ、大丈夫www」







このブログで読まれている記事