2017年6月10日土曜日

舩坂弘さんとクレンショー伍長の戦後復興

どうもこんばんは、道化師です。

さて、本日も、太平洋戦争の舩坂弘さん(ふなさかひろし)から、お話しましょう。

さて、舩坂弘さんとクレンショー伍長の奇妙な友情を経て、ついに1945年8月15日終戦の日を迎えたわけですが、舩坂弘さんの戦いは、これからはじまることになる。

舩坂弘さんは、戦後日本の荒廃ぶりをみて、自分も戦後復興のために尽力をしようと起業することになる。

道化師「何で、起業したのでしょうか?建築・飲食・武術・とまぁ、思うでしょうが予想外の答えになります。」

道化師「本屋さん。」

道化師「本屋さん。」

道化師「本屋さん。」

大事なことなのでもう一度いいます。

道化師「本屋さん。」

なぜ、サイボーグのような、舩坂弘さんが、どうして書店の経営に思いついたか?

恐らく、クレンショー伍長の影響が大きいかと思いますが、日本をアメリカのような豊かな国にするためには、文化・教育・産業を豊かにすることこそが大事なのではないだろうかという思いから、書店の経営を始める。

そうそれが、渋谷のセンター街にある。

本のデパート大盛堂書店(たいせいどうしょてん)ということになります。

さて、舩坂弘さんたった一坪というものすごく狭い面積から書店経営をして、あのビルまるごとの大きさになるまで店舗を拡大したということになります。

その間にも、アンガウル島で死んでいった仲間たちの遺骨の収集作業を行い、そして、現地の人々の積極的な戦後復興援助をしていった。

そう。戦争が終わってからも彼の戦いは終わらなかった。

一方のクレンショー伍長は、家が貧しかったために大学をあきらめ、トラックの運転手をしていた。軍を除隊した後も、精力的に仕事をして、なんと副社長になる。しかも、その後は貿易会社まで立ち上げてしまうという。

「やはり、スタンド使いは、スタンド使いを呼ぶ」

クレンショー伍長も戦争後アメリカの戦後復興のために膨大な仕事をこなしていたのだ・・・。

そうして、20年の時を経て、彼らは、今度は、日本で出会うことになるのだが・・・

それは、また、別の話。

この話は読みやすくしているため、史実に即していない部分があります。

もっと詳しく知りたい場合は、大学に行って勉強されることをオススメします。

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