2016年8月11日木曜日

欧州懐疑論(おうしゅうかいぎろん)

どうもこんばんは、松井塾塾長の松井です。

さて、本日は、欧州懐疑論についてお話をしていきたいのですが、ここで重要な問題があります。

私の基本的な考え方をお話しておきます。

私は、基本的には、反グローバリゼーションの考え方の持ち主です。

したがってどちらかと言うとナショナリズム(国家主義)の考え方に近いので、私の論調は、反EUになりやすい傾向にありますのでご注意ください。

それでは、欧州懐疑論(おうしゅうかいぎろん)

欧州は、一つになれば平和になれると言っているけれど嘘じゃないの?って考える人たちのことです。

この人達の主張にはどんな主張があるのか見ていきましょう。

1,人と人とは分かり合えない

これを読解文章で出してきたらなかなか壊滅するでしょうか、壊滅するでしょう

人は、基本的に異なった価値観をもって生活しているということになる。

で、その異なった価値観を話し合いで解決することはそもそも不可能だということです。

まぁ、なかなか奇抜なアイデアですが、覚えやすい方法としては、

「戦争を知らない子供たちと平和を知らない子どもたちの価値観は違う」と覚えておくとわかりやすいでしょう。

ワンピースのドンキホーテドフラミンゴの言葉だったと思います。

例えば、イスラム教徒・仏教・キリスト教などがそうですが・・・

豚肉を食べることを正しいとしている根拠と、豚肉を食べることが良くないというふうに育った人間が分かり合う日が来るのか?

ということでしょうね?

2,理想主義的すぎるという問題

例えば、EUに代表されるように、グローバル化をsy庁する人たちは、産業の各国の競争によって、負けるのはしかたがないのだからというふうに終わらせるケースが非常に多いのですが・・・

おいおいちょっと待てよって話ですよ。

自分がやっている仕事や会社が、潰れました。

産業競争力がないので、会社は潰れました。

他の仕事に就職しなさいと言われて、はいそうですか。

とみんながなるのかということです。

そう。ならない。

だから、ここに軋轢ができる。

そうすると負けた側は、武力に訴えてでも現状を変更しようとしてくる。

さて、この状況で、果たして、グローバル経済がうまく進められるのかということです。

個人にとって正しい選択が全体にとっての正しい選択にはならないということですね。

まぁ、こんなところが欧州懐疑論の主なテーマになるでしょうね。

というわけで結論

「人間は、そんなにコンピュータのようにすぐに変化に対応できるわけではない。」ということです。

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