2016年10月17日月曜日

明治6年の政変(武闘派VS内地優先派)の対立

どうもこんばんは、道化師です。

さて、本日は、明治6年の政変ということをお送りしていきます。

明治6年1873年に起こった、韓国(朝鮮半島)をどうするのかということが引き金になり、内部分裂を引き起こした事件。

武闘派筆頭西郷隆盛さんがこういいます。

西郷隆盛「朝鮮半島を武力によって、政治および、軍事に介入し、無理矢理にでも開国させるべし。」

内地優先筆頭伊藤博文

伊藤博文「西郷さん。今、戦争なんかやっとる場合じゃないでしょう。今もって、内地を優先させるべくしっかりとせにゃならんでしょうが・・・」

西郷隆盛「伊藤、お前、ドイツだかフランスかにいって、腑抜けになったんとちゃうか?」

伊藤博文「誰に向かっていっとんじゃ。」

西郷隆盛「お前、やれんのか?」

伊藤博文「どっからでもかかってこんかい。」

まぁ、こんなやり取りがあったかどうかはさておいて、

伊藤博文VS西郷隆盛の戦いが切って落とされようとします。

それでは、明治6年の政変(1873年)に西郷さんとともに出て行った人を見てみましょう。

西郷隆盛・板垣退助・江藤新平・後藤象二郎・副島種臣(そえじまたねおみ)

以上5名

いずれも名だたる武闘派集団??

というわけで、本日の結論

伊藤博文VS西郷隆盛(どっちが勝つの?)


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