2017年9月17日日曜日

勉強ができる=立派な人???

 どうもうこんばんは「成人の日と敬老の日を間違えてしまう。」松井塾長です。

 さて、本日は、台風接近に伴いまして、松井先生はコロッケを食べながら、家の掃除をしながらゴロゴロしているという絶望的な生活をしているわけですが・・・いつも通り、いつものようにお話をしていきましょう。

 というわけで本日のテーマはこちら

 「勉強ができる=立派な人???」でお送りしていきましょう。

 道化師「それでは、松井塾長どうぞ!!!」

 松井塾長「んなわけない!!!」

 道化師「・・・。でも勉強できる人は立派な人多いんじゃないですか???」

 松井塾長「そうですか???私のイメージはかなり違う。勉強できる人で、口先だけ立派なことを言っているが、行動がまったく伴っていない人間はたくさんいると思いますが???」

 松井塾長「まず、勉強ができることによる弊害(へいがい)をしっかりと見ていきましょう。ここでは、松井塾長をモデルにお話していきましょう。」

 勉強ができることによる弊害

 「自惚れる(うぬぼれる)」もう、これが一番強いといってもいい。

 松井塾長「まぁ、自分が22歳のときだったかと思いますが、自動車の免許の仮免の実技試験で落ちたことがありますwww」

 松井塾長「みんなから、まじかよ???と言われますが、事実です!!!」

 松井塾長「はっきりいいますが、このときほどショックだった事はありません。(生徒が入試に落ちたときを除く)」

 松井塾長「そこに、何があったのか???おごり!!!慢心!!!そして、自惚れ!!!」

 松井塾長「自分は優秀だ!!!そう感じていた。そんな自分がよもや、仮免の実技試験で落ちるわけがない。根拠のない自信を持っていた。が、結果は、開始1秒で脱輪。はい失格www」

 松井塾長「何が一番ショックだったのか???」

 松井塾長「勉強ができることと運転をすることに何の相関関係もないというそんな簡単なことに気がつかなかった自分の愚かさを反省した。」

 道化師「いつも生徒に言っていたことなのにですねwww」

 松井塾長「そのとおり!!!人を見くびることなかれ。人をあざけることなかれ。人を馬鹿にする事なかれ。最善を尽くしてなお足りぬが勉強。」

 松井塾長「と言っている張本人がやらかすwww」

 松井塾長「つまり、何がいいたいかというと人間は立派にはなれぬ!!!」

 松井塾長「ところが、学生の間は、勉強ができるということが無条件で肯定される社会だということが一番厄介な問題を内包している。」

 勉強ができる=善という謎の公式が存在してしまっているので、人は知らないうちに、勉強ができることは、立派なことだと刷り込まれてしまうという厄介さにある。

 松井塾長「これは、今の君たちに言うべきというよりも、もっと年齢が高くなってから、もう一度考えるべきことなのかもしれないが・・・」

 松井塾長「勉強ができても何かができるわけではない!!!」

 松井塾長「学んだ勉強をどういかすか?これが大事なのであって、ただ単に、偏差値を上げれば全人格が肯定されるわけではないということに、早い段階で気が付かないと後で大きなしっぺ返しを食らってしまう。」

 松井塾長「もう一つは、エリート無謬説(エリートむびゅうせつ)という問題。」

 松井塾長「エリート無謬説。エリート無謬説とは、エリートが何でも解決できるという謎の理論。」

 松井塾長「偏差値が高い人は、なんでもできるし、圧倒的な理性をもっていて、圧倒的な才能を持っていて、このエリートを集めればなんでもできるし間違いないという謎な発想。」

 松井塾長「んなわけあるか!!!」

 というわけで、本日の結論はこちら

 「学ぶべきは、努力している人!!!」

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