2016年7月18日月曜日

善悪の感情

どうもこんばんは、道化師です。

さて、本日は倫理的な問題から一つ問題を出していきたいと思います。

さて、本日のテーマは、人は何を持って善とし何を持って悪としているのかということになります。

道化師「この手の問題が出される場合は、非常にやっかいなレベルになります。ですが、皆さんに解きやすいようにするためにあえて特殊な価値観を身に着けていきましょう。」

善悪の価値観は、社会の権力者側にとって都合がいいかどうかを考えるとよりわかりやすく、善悪の2つの区別がつきやすくなります。

そして、大学というのは、そもそもが、権力者側に擦り寄るという性質を持っているというところを考えると、基本的には、善悪の基準は、権力者側有利かどうかということを考えると、全ての善悪がわかるはずです。

注意事項:この文章を読むと、どういうわけか、この社会はおかしいとか、今の社会は腐っていると考えるひとが多いかもしれませんが、間違っても、これを武力による打倒を考えるのはやめてください。

日本は、民主主義国家ですので、武力による打倒をしようと考えるのは違います。

その価値観がどんなに素晴らしかったとしても、その意見は受け入れられないのでご注意ください。

例えば、次のケースを見ていきましょう。

お年寄りを敬え。

はい皆さん。頭の体操です。

なぜですか?

そう、特に理由がないように思いますよね?

生物学と経済学的に考えるならば、お年寄りを敬う必要性は全く無いはずです。

ところが、何故お年寄りを敬わなければんらないか?

お年寄りいらなくねということになると、今権力を持っている人たちの体制が危うくなってしまいますね?

ということは、これは”善”ということになるのですね。

貨幣の偽造。

これは?

悪になりますね。国家権力の根幹を司るのはいつも言っているとおりですが、貨幣ということになります。

これの偽物が大量に出回るということになると、国家の存続が危うくなりますね?

というわけで、これは、”悪”ということになるわけですね。

そういうふうに、善と悪をバラバラに分けていくと、何が善なのか?そして、何が悪なのかということがわかってきます。

さらに、文章の結論がどのようになるはずなのかということもわかってくるでしょう。

というわけで本日の結論

善と悪の問題が出てきた時に、支配する側の人々にとって都合のいい終わり方になるはずである。(そうでないケースも有ります。)

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