2016年7月27日水曜日

現代文あるある(パターン1自然じゃないけど自然大好き)

どうもこんばんは、道化師です。

さて、本日も現代文についての攻略方法を考えていきましょう。

現代文あるあるその1

自然じゃないけど自然大好き!!!

道化師「さて、ここで、勘違いしてしまう人たちがいるのでご注意ください。自然は大切だと言われて、そのとおりだと思える人。現代文ができるでしょう。しかし、そもそも自然って何とか思う人。よく今まで勉強してきました。が、現代文だけ成績が悪いということはないですか?」

この現代文における自然大好きというのは、あくまでも筆者のいうところの自然大好きということになります。

そして、この自然大好き理論なんですが、あくまでも筆者と多くの一般の常識的な感覚を持った人々の間だけで共有できる自然が大好きと言っているんですよ。

もう一度いいますよ。

この自然大好きという人たちの自然っていうのは、筆者とその意見を共有できる人々の中で、考えられている都合のいい自然のことを自然と言っているんですよ。

だから、こんなのは自然とは呼ばない。

弱者や、お年寄りに医療は必要ない。なぜなら、自然界においては、弱肉強食の世界であるので、そんなところをあえて救う必要性はない。

これは、自然じゃないんですね。(これで、喜ぶ人基本的にいないでしょう。だから自然じゃないんです。)

江戸時代から代々受け継がれた木の家は自然だけれども、コンクリートで作られた、マンションは自然じゃない。

太陽光パネルをつけて発電することは自然だけれども、水の力を利用した水力発電は、ダムを作っているので自然じゃない。

工場で作られた、砂糖は自然のものじゃないけれども、工場で作られた錠剤のクロレラは自然のもの。

人を助けたいという行為は、自然のものだけれども、人のものを奪おうとするのは自然ではない。

ここまで、読むとだいたいわかってきましたね。

つ・ま・り、そもそも何が自然で何が自然でないのかというのは、学問的な裏付けがあるわけではなくて、ただ単純に、多くの人々が、なんとなくいいと思っていることや、筆者の思い込みによって作られるにすぎないものということになります。

道化師「だから、松井先生に模試や大学受験の過去問を見せると早いと一分以内に内容をべらべら喋り出すというのは、おおよその筆者の主張が”見える”からということになります。」

もう一度いいますね。

現代文の読解では、自分がどう考えるのかではなくて、相手の言っていることをただただ、このようなことをいっているんだと冷静に分析することにある。

読解とは、考えるのではなく、探す。自分ではなく相手を考える学問。ということになります。

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