2017年5月16日火曜日

1600年関が原の戦いからのお話。

どうもこんばんは、松井塾長の松井です。

えーと今年の中学3年は、歴史マニアな人々が多いので、その話から抜粋させていただこうと思います。

1600年 日本全体が、西と東に分かれて天下分け目の大戦を戦った。

西軍 石田三成 VS 東軍 徳川家康

の戦いでお送りするわけですが、ここで紹介する人物はこちら。

島津家ということになります。

後に、明治維新でも大活躍するわけですが、その島津家の恐ろしい戦い方を見ていきましょう。

1600年天下分け目の大戦

午後にもなると、もはや終戦の模様。

東軍 徳川家康陣営の圧倒的な勝利になっている。

残っている西軍の軍勢は、島津家300名ただ一つ。

さて、どうするのか島津家どうするんだ島津家。

島津家「退却開始!!!」

遅い。おそすぎる。退却開始がおそすぎる。

道化師「さて、この島津家、最後の最後まで残っていたので、どういう状況になっているのかというと・・・」

右見ても大軍 左見ても大軍 前を見ても大軍 後ろを見ても大軍

どうすんのこれって言う状況。

総勢10万人近い軍勢に囲まれてしまっている。

東軍 10万人VS 島津家300名(諸説あります。1500名ともあります。

ミッション 退却せよ!!!

まぁ、おおよその方々が無理ゲーだと思うでしょう。

しかし、島津家は、強かった。というかこの人たちおそらく、全員承太郎かなんかの軍隊でしょう。

島津家「退却ーーー!!!」

島津軍「おーーーー」(なぜテンションが上がる???)

さて、この島津軍は、どこに向かって退却したのか?あろうことか、徳川家康本陣にめがけて突撃による退却を開始。

島津軍「オラオラオラオラ」

東軍「うぁあーー」という状況で、2万人近い軍勢を突破。

徳川家康本陣を目前に迫る。

徳川家康「全軍戦闘に備えろ!!!」(抜刀して構える。)

島津軍・・・家康本陣の真横を素通り。

徳川家康「・・・・・・・・・。」

徳川家康「・・・・・・・・・。」

徳川家康「・・・・・・・・・。」

徳川家康「!!!違う。あれは退却だ。追撃しろ!!!」

島津家無事退却完了。

まぁ、この時代の人々は、ほとんど人間なのかなんなのかよくわからない人々がたくさんあります。

まぁ、戦国BASARAとかをたまに見ていると、歴史の文献を読んだ人間からすると、これはネタとして描かれているのか、それとも、本当の話だとわかって書いているのか?

とツッコミを入れたくなるようなことがたくさんあります。

というわけで、この、関が原の戦いで、島津家が退却ができたことが後の明治維新につながっていくわけではあるが、それはまた別の話。

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