2015年10月4日日曜日

道化師の日本史(律令国家2)


  どうもこんにちは、道化師です。

 さて本日は、蘇我馬子から、蘇我蝦夷(そがのえみし)・蘇我入鹿(そがのいるか)へとバトンタッチしていきたいと思います。

 蘇我入鹿といっても、なごり雪じゃないですよというボケが伝わらなくなっていると某塾長が言っていました。

 六一八年おとなりの中国では、隋が滅んで次の国唐が出来上がります。

 さてこの唐という国ができたところに、六三〇年に犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)が送り込まれます。遣唐使としてですね。

 ただしこの人は、最後の遣隋使としてもいっているので注意してください。

 最後の遣隋使そして最初の遣唐使ですが、特に何の活躍もしません。

 大事でもないことなので二回いいます。最後の遣隋使です。そして、最初の遣唐使です。犬上御田鍬は、でも特に何も活躍していません。

 さて、この頃日本では、推古天皇がなくなって、舒明天皇(じょめいてんのう)が、即位されますが、この頃はこんな状態。

 蘇我蝦夷「おい、蘇我入鹿」

 蘇我入鹿「何?」

 蘇我蝦夷「だいたいなんでも俺達の思い通りじゃね?」

 蘇我入鹿「俺たち蘇我氏に反抗しようなんてグループはいないでしょう。」

 蘇我蝦夷「ただ、最近山背大兄王(やましろのおおえのおう)ってのが、調子に乗ってるらしいよ。聖徳太子の子供かなんかしらんけど調子に乗ってるな。」

 蘇我入鹿「山背大兄王(やましろのおおえのおう)ちょっとしめあげて来る」(六四三年)

 というような有様。この頃の蘇我氏の実力は、ものすごいものがあって、日本で言えば、警察と自衛隊を自由に動かせるぐらいの権力者。しかし、この男たちに立ち向かう五人の男がいた。

 レッド 中大兄皇子 ブルー 中臣鎌足 イエロー 高向玄理 ピンク 旻 グリーン 南淵請安 五人揃って大化の改新じゃー

 滑ったところで次に行きます。彼らが、乙巳の変で蘇我蝦夷・蘇我入鹿親子を殺すことによって、政権を奪い取ります。

 そして中学校の時には習わなかったかもしれませんが、重要なポイントです。

 権力の位置が変わった場合、都を移す場合が多い。これしっかり覚えておきましょう。

 中大兄皇子は、この後、天智天皇となっていきますが、飛鳥の都から、都を移します。

 難波宮(現在の大阪)に移すことになります。以降も権力の中心が変わると都を移すということはよくあるので注意していきましょう。

 それでは、本日はこの辺にしておきましょう。

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