2015年10月22日木曜日

独裁国家について


 どうもこんにちは、道化師です。

 さて本日は、独裁国家についてお話をしていきたいと思います。

 独裁国家の多くは、(注意必ずしもそうとは限らないので)知識を本から吸収させることを禁じる傾向にある。

 つまり、情報に対しての自由なアクセスを禁止する方向にあることが非常に多い。

 したがって、情報に関するアクセスをどのように禁止するかが最も重要になってきます。

 その顕著な例が、政治に対して批判的な本の出版を禁止するという方法になります。

 これを、検閲といいますね。

 この検閲の行動をされると、政治に対しての正確な情報が手に入らなくなってしまうために、独裁者の思い通りに政治をすることができるということになります。

 この状態を避けるために重要な事は、独裁者の思い通りにならないように、表現の自由を最大限尊重するようにしておかなければならないということになります。

 また、教育も非常に重要な事になってきますが、教育の独立性(これが逆に問題になることも多いですが・・・)というものも重要になってきます。

 教育は他の政治権力から独立した存在でなければならないというのは、教育の業界そのものが、政治的圧力に屈してしまうと、正確で正しい情報を得られなくなってしまうために、子どもたちが、洗脳教育をされてしまうという問題点が、生じます。よって、教育及び情報の発信者は、独立した存在でなければならない。

 という終わり方で終わっている場合がほとんどのケースでしょうね。

 まぁ、アタリマエのことですが、大学は教育機関ですね。その教育機関が、教育や情報は統制するべきであるという文章を書くことはあまり考えられないでしょう。

 道化師「ところで、近年批判の対象に挙がってしむのは、この教育機関の独立が、行き過ぎてしまい、教育機関の特権になっていないだろうかという批判になります。この辺は民主主義国家では非常に難しいところになるのですが、民主主義においては、すべての権力者から完全に独立した機関は、権力の監視のために必要ではありますが、完全に独立してしまうと今度はその部署が絶対的権力を持ち暴走を始めてしまうという問題を抱えています。これは、民主主義の最も大きな問題ですね。」

このブログで読まれている記事