2015年10月1日木曜日

道化師の日本史(大和政権が成立するまで2)


 どうもこんにちは、道化師です。

 さて本日は、日本史の2回めのテーマ

 古墳文化についてお話していきましょう。

 さて、3世紀頃になると、近畿地方特に奈良県に豪族の連合国家、大和政権が出来上がります。この大和政権の特徴は、前方後円墳と呼ばれる巨大な墓の集合を文化に持つ特殊な政権になります。

 さてその中には、箸墓古墳と呼ばれる。卑弥呼のお墓もあったのではないかとされている古墳もあります。

さてこの古墳文化たちですが、この古墳たちも、前期・中期・後期というように古墳の形大きさなどが、ばらばらになっています。

 それでは、まずは、前期から、前期の古墳は、竪穴式石室を持つ簡単な古墳ということになります。

 次に中期の古墳になりますが、これは、非常に大きな古墳があちこちに出来上がります。

 大仙陵古墳(仁徳天皇陵)にいたっては、日本で最もでかい古墳とされていますね。

 次に大きいものとしては、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)はその次にでかいものとなっていますよね。

 そして最後に、後期この頃になってくると、古墳でかすぎるんじゃない?という意見から、古墳の大きさが小さくなっていきます。また、ひとつの古墳にたくさんの人数を収納できる形状にするために、群集墳という形になっていきます。

 また前期の頃とは異なり、横穴式石室が一般的になっていきます。

 横穴石室のほうが便利だということは、わかりますよね。竪穴式石室の場合、一人しか入れられない上に、石で固めてしまうために、それ以上いじることができない。

 ところが横穴式石室の場合は、家族何人も古墳の中に埋葬することができるよね。そういったこともあって、、横穴式石室一般化するということになりますね。

 また、7世紀頃になると古墳の形そのものが変わってしまいます。

 いままでは、前方後円墳という形が一般的だったのですが、八角形の古墳が登場します。これがいわいる八角墳(はっかくふん)と呼ばれるものになってきます。

 そして忘れていけないのが、ハニワくんたち。

 これも、埴輪には、2つの種類があるということを覚えておきましょう。
 
 一つが、形象埴輪・もう一つは・円筒埴輪

 形象埴輪:人や馬の形など物の形を似せて作られた埴輪

 円筒埴輪:単純に古墳の土などが降ってこないように工夫するために作られた埴輪

 というところになります。

 道化師「というところが、古墳時代の代表的なことなのですが、この時代まだ文字というものが、きちんと伝わっていないので、でてくるのが、古墳・古墳・埴輪・埴輪という状況になります。しかし、その形状などを覚えるのは非常に難しいので、そこをきちんとおさえるようにしましょう。」

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