2015年10月6日火曜日

道化師の日本史(律令国家3)


 どうもこんにちは、道化師です。

 さて本日は、難波宮にうつしたあたりから見ていきましょう。

 白村江の戦い660年に新羅・唐の連合に百済が滅ぼされてしまいます。

 この結果、唐と新羅の連合に専守防衛に立たされてしまう日本。

 つまり、九州の防御を固めなければならない。ということになってしまいます。

 そこで、九州北部に対して、水城を建てて、九州北部の防衛を固めるとともに、朝鮮式山城を九州北部から近畿地方まで築きあげなければならなくなる。

 さぁ、そこで、九州が、等に占領された時のことを考えて、難波宮から、近江大津宮へと移す作業が急ピッチで進められていくことになります。

 さて、ただ、天智天皇は、守備一辺倒だったのかというと、そんなこともありません。

 東北地方への遠征を開始します。そのトップバッターに任命された人が、阿倍比羅夫(あべのひらふ)ということになっていきます。しかし、この頃は、それほど東北地方への進出をすることはなく、そこそこのところで、止まってしまいますが・・・

 そして、ここまでが、天智天皇のやったこと。

 天智天皇お亡くなりになります。

 天智天皇が死んだあと、後継者争いが勃発します。

 そう、中学の時にやった、壬申の乱だったよね。

 壬申の乱で争いが起こるのは、

 大海人皇子VS大友皇子の戦いになりますよね。

 大海人皇子(やっぱりだいかいじんはつよい。)が、大友皇子をぼっこぼっこにしてしまう。
 
 これが、672年壬申の乱だったよね。

 さて、権力の一が変われば、政治の中心地を変える。

 飛鳥浄御原宮に移します。天武天皇に即位します。

 天武天皇は、8色の姓 「富本銭」をつくります。

 ただしこの頃の富本銭は、ほとんど流通しませんでした。

 絶対的な量が足りなかったために、富本銭は流通不足になりました。

 さて、その天武天皇の後を引き継ぐのが、持統天皇ということになります。

 この持統天皇は、天武天皇のやろうとしたことを引き継ぎます。

 庚寅年籍と呼ばれる戸籍の完成。694年藤原京への都を移動させる。などのことを行います。

 そして孫の文武天皇が701年に大宝律令を完成させることになります。

 こうして、律令国家のとりあえずの完成をしたと言っていいでしょう。

 道化師「長い戦いの歴史でしたね。それでは、次回からは、実際の律令制度について見ていきましょう。」

 

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