2015年10月23日金曜日

ハリスとの外交交渉(命をかけた日米修好通商条約)


 どうもこんにちは、松井塾塾長の松井です。

 本日は、日米修好通商条約について見ていきましょう。

 日米通称通商条約を交渉した人は、だれかということになりますが、ハリスと日本人全権代表松井くんです(実際には、交渉した人はいますが、高校受験では出てこないので松井くんとしておきます。)

 それでは、実際の交渉について見ていきましょう。

 1858年 某月某日 某時刻 ハリスVS松井くん

 ハリス「日本は、これからアメリカと貿易をするべきである。なぜなら、イギリス・フランスのような国々と先に条約を結んでしまうと、日本は、ずっとアヘンをずっと入れ続けなければならない状況になる。今のうちに、アメリカと交渉するべきです。アメリカは、リンカーン大統領のように差別のない国です。アジアの諸国であろうと黒人であろうとも平等で、対等な貿易関係を構築できると思います。」

 松井くん「ハリス様。嘘をお伝えされては困りますな。アメリカは、中国において、イギリスと同様アヘンを売りつけているということはご承知のはず。また、アメリカは他国との貿易においてもアメリカは問題の多きこと限りなく。」

 ハリス「ううううう。」

 実は、よく知られていないのですが、日米修好通商条約は日本が一方的にやられっぱなしというのは誤解になります。

 それでは、詳しく見ていきましょう。

 ハリス「まずは、アメリカ人が日本で自由に移動できる権利を保証していただきたい。」

 松井くん「日本は、欧米列強の植民地ではない。」

 ハリス「日本の港については11港を開港していただきたい。函館・神奈川・長崎・新潟・兵庫・京都・江戸・大阪」

 松井くん「断じて、することはできない。日米和親条約の時に締結した函館以外当方としては認めるつもりはない。」

 ハリス「11港」松井くん「2港」ハリス「8港」松井くん「3港」ハリス「7港」松井くん「4港」ハリス松井くん「5港」

 こんな感じの緊迫したやり取りが何時間も何ヶ月も続いたそうです。

 さぁ、ハリスと松井くんとの交渉も最終に入ってきました。ここに来て、ハリスは強硬に主張してきます。

 ハリス「アヘンの件については、一滴もアヘンを入れないということは了承しよう。」

 松井くん「ありがとうございます。」

 ハリス「しかし、京都の開港と、アメリカ人が自由に移動できることに関しては、了承していただきたい。」

 松井くん「それだけは絶対にできない。」

 ハリス「そうですか。」(ここで、ハリス賭けに出ます。)「ならば、松井くんあなたは、今の発言で合衆国政府を敵に回すことになることになるかもしれませんよ。その場合、江戸の周辺に黒船が大挙して押し寄せることになるかもしれませんが、それでもよろしいか?」

 松井くん(実際にも机を蹴ったそうですが・・・)「ならば結構。こちらとしても戦争の準備に入らさせていただく。我が国は、劣等国かもしれんが、奴隷にまで成り下がった覚えはない。京都に今、外国人が入れば、内乱になる。内乱は、戦争よりも怖い。失礼させていただく。」

 ハリス「・・・・しまったな・・・・」数時間後 松井くん登場 今度は、私服で登場刀を持っていないで・・・

 松井くん「ハリスさん、先程は失礼しました。私も本当のことを言えば、最終的には京都の港を開港することや、アメリカ人が自由に移動できることには賛成です。しかし、今は時期が悪い。こういった諸問題は、いずれ、時間が解決してくれることと思います。」

 ハリス「わかりました。」

 といったところで松井くんお仕事を終えて井伊直弼大老のもとに帰るが・・・

 井伊直弼「朝廷からの勅許が得られていない状況で、調印することはできない。」

 松井くん「今、調印しなければ、2度とアメリカは、調印してくれないでしょう。また、アメリカは、イギリス・フランス及びロシアからもし戦争を仕掛けられた場合には、これを保証すると言ってくれている。(ハリスとの個人的な相談の中決定)ご決断を・・・・」

 井伊直弼「・・・・・・・・・・・・・・・・・しかし、朝廷との勅許がまだの状況では・・・・」

 松井くん「井伊直弼大老。ここはご決断の時です。もし、この場で勅許の許しが得られない場合は、ここで腹を切ります。ご決断を・・・」(実際の交渉はもっとすごかったらしいですね。)

 井伊直弼「・・・・・・・・・・・・・・・あいわかった。是非に及ばず(しかたがない)」

 こうして、日本の全権代表の努力の甲斐があって日本の鎖国からの貿易はうまくいったのだが、歴史というものは残酷なもので、後世ではあまり評価されていません。

 そして、今なお歴史の教科書に書かれていることとしては、

 日本の初めての貿易は、


 領事裁判権関税自主権がない不平等条約だったと締めくくられます。

 篠崎くん「日本の全権代表たちは、その後幸せになったの?」

 松井くん「いや、あるものは暗殺され、あるものは責任をとって左遷され、あるものは、最後まで欧米列強との外交交渉をさせられ、途中で過労で倒れたりした。」

 江戸川区ん「うわーなんか可哀想ですね。」

 松井くん「エリートってそんなもんじゃないのか?誰かに評価されるために働くんじゃなくて、だれからも文句を言われたとしても、努力した結果、左遷されたり、殺されることになったとしても、国のために今持てる精一杯の努力をすることこそが、大事なんじゃないかな?ヒーローは常にかっこ悪い。」

 篠崎くん「責任を取らされることがわかっていてもやったんですか?」

 松井くん「そうみたいだね。ヒーローは常に泥臭い。でも、一人だけは、その苦労をわかってくれていた人がいたみたいだよ」

 篠崎くん「誰ですか?」

 松井くん「ハリスだよ。」

 篠崎くん「えーーーーー」

 松井くん「ハリスは、後に明治政府の使節団に対して、彼らがやった外交交渉は素晴らしいものだった。私も何度も苦戦させられたと笑いながら答えたそうです。そんな日本の外交団を持っている日本は、運が良かったとね。」

 というわけで結論

 日米修好通商条約の成立(ハリス)日本では不平等条約と言われる。 

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