2015年10月21日水曜日

ペリーが来るハリスも来る


 どうもこんにちは、松井塾塾長の松井です。

 さて本日は、開国について見ていきましょう。

 一八五四年日米和親条約について、少し見ていきましょう。

 ペリー来航する一八五三年から見ていきましょう。

 まず、ペリーが日本に対して圧力をかけてきます。

 日本に、黒船でやってきて、日本に対して軍事パレードを行ってみます。

 アメリカの東インド艦隊司令長官ペリー 軍艦四隻を率いて、神奈川県の浦賀に来校してきます。

 ペリー「HOW ARE YOU」

 松井くん「どうもこんにちは、元気でやってますわーこれはこれは、ペリーさんお元気そうで何よりです。」

 篠崎くん「毎回毎回、どこにでも登場してきて歴史をねじ曲げますね。www」

 さてこんな感じで始まったペリーなんですが、ペリーをブチギレさせる事件が起きる。

 松井くん「それじゃあ、ご飯でも食べに行きますか?京都の料亭にご案内します。」

 さぁ、ここで、日本政府が連れて行ったのが、京都での有名な料理屋さん。しかし、ここで問題が発生してしまいます。

 そう、京都の料理は、薄い・少ない・そして肉料理が少ない。

 相手は、軍人この京都の美味しい料理がさっぱりわからない。

 しかも、日本人が言い放った絶望的な一言がこちら。

 「つまらないものですがどうぞ。」

 はい、ペリーにわかるはずがない。そして、ペリーブチ切れる。

 ペリー「おい、松井何だこの料理は、何の味もしないぞ。そして問題は量だ、腹が減って仕方ない。肉をくれ肉をよう。大体なんださっきの女将は、つまらないものですがどうぞとはどういうことだ、俺をつまらないところに連れてきたのか?ふざけるな。俺はもう帰る。」

 松井くん「いやいや、ちょっと待って下さいよペリーさん」

 という出来事があったとかなかったとか?私は名古屋の人ではありませんが、もし、ペリーを名古屋料理に連れて行ったら、歴史はもう少し変わったのかもしれませんね。

 というわけで、ペリー激おこの状態で結ばれた日米和親条約(一八五四年)は、下田函館の開港ということで決着します。

 江戸川区ん「この時日本政府は無能だったんですか?」

 松井塾塾長「そんなことはないよ、日本政府はこの時ペリーは貿易まで認めさせようとしていたけれども、アヘン(今で言うところの覚せい剤など)が、入ってくる危険性があることから全面的に反対したんだよね。」

 とまぁ、これで一難去ったと思った矢先にこんどは、ハリスが来るわけですが、その話はまたこんど。

 というわけで結論。

 一八五四年 アメリカからペリーがやってくる 日米和親条約を結ばされて、下田と函館の開港を許可する。鎖国の終了というわけですね。

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