2015年10月2日金曜日

道化師の日本史(大和政権が成立するまで3)


 どうもこんにちは、道化師です。

 さてそれでは本日は、実際に大和政権が誕生してからの様子を中心に見ていきましょう。

 まず、大和政権は、日本だけではなく朝鮮半島にも進出します。この朝鮮半島の情勢が非常に重要な事になってくるのですが、まず、朝鮮半島の馬韓(ばかん)諸国からの百済(くだら)辰韓諸国から新羅(しらぎ)という統一王朝があらわれます。しかも北方の国からは高句麗(こうくり)という勢力があります。

 ここで、大和政権は、現在の朝鮮半島の南の地域へと進出していきます。

 この地域のことを加羅(から)と呼びます。これは、大和政権が朝鮮半島の鉄の資源を求めて加羅地域の制圧を目標にしたということが主なポイントになります。

 このような状況がわかったのは、高句麗の地域の好太王碑に残されています。

 そこで、重要なこととしては、日本の勢力、加羅は、百済の勢力と仲が良かったことがわかっています。
 
 これは、奈良県の石上神宮の七支刀に百済の王が、倭王に送ったとされていることからも、百済の勢力と倭の勢力の友好関係が記されています。

 さて、この頃の日本の状況を記したものとして南朝の宋に書かれている文章からわかることができます。

 宋書倭国伝に書かれている内容

 日本では、倭の5王と呼ばれる5人の大和政権の支配者がいました。(ワンピースで言うところの5老生みたいなもんですね。わからない人はごめんなさい。)

 倭の5王とは、順番に讃(さん)珍(ちん)済(せい)興(こう)武(ぶ)と呼ばれています。

 ここで一番重要な人は、武になります。武=ワカタケル大王 (雄略天皇)と呼ばれる人になります。

 また、ワカタケル大王は、かなり有名で、埼玉県の稲荷山古墳の鉄剣銘及び熊本県の江田船山古墳の鉄刀銘にも記載されています。

 ということは、ワカタケルの大王は、埼玉県から熊本県まで戦いまくっていたということなのかもしれませんね。

 さて、ようやく話しの本題になりますが、この大和政権の最も大事なところは氏姓制度にあります。

 氏姓制度:簡単に言うと、大和政権の中で有力者とどれだけ血縁的に近いかどうかによって決まるシステムのことを、氏姓制度と呼びます。

 つまり、政治のシステムが全て、一族かそうでないかによって、決まってしまうというシステムです。

 さて、有力者との血縁関係の強いものには、まず、豪族としての称号うじを与えてあげます。しかし、問題はこの前で、その中でも特に優秀なものに姓を与えます。

 姓を会社などで考えると、社長、部長、課長、係長などの役職と考えてもらえるとわかりやすい。

 おおよその姓は、こういったところになります。

 一番偉い人たち 大臣(頭をつかう豪族のトップ) 大連(軍事力を使う豪族のトップ) 国造(地方の中で一番偉い人。大阪府知事とか青森県知事みたいな人たち)

 一般の下級豪族(係長みたいな人たち)伴造こんなふうになります。

 おいおい、じゃあ豪族じゃない人たちは、どうしたの?

 一般の農民たちはどういうふうな称号を与えられたかというと、また、この農民の中にヒエラルキーが存在します。

 大王家(一番偉い人たち)の私有地(屯倉)(みやけ)を耕す人たちは、名代・子代(なしろ・こしろ)と呼ばれる人々です。

 豪族たちの私有地(田荘)(たどころ)を耕す人たちは、部曲(かきべ)と呼ばれる人たちになります。

 こういうふうにして、ピラミッド上に人々を力で支配していくのですが、力による支配は、あまり長く続かない。そこで、大和政権から、奈良時代にかけて、徐々に律令体制がひかれていきます。この律令体制は、法律による支配体制を意味するようになっていきます。

 道化師「いやぁー日本史って本当に奥が深いですね。それではまた。次回は、律令国家に対してのお話をしていきます。」

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