2016年3月11日金曜日

教育者のあるべき姿?


 どうもこんにちは道化師です。

 さて本日は、教育者についてのお話をしていきたいと思います。

 大学受験をされる中には、教育学部に進みたいという人もたくさんいらっしゃると思います。

 その問題として出されるものとしては、教育者についてのお話というのがよく出されると思います。

 そこで、教育者として大切なモノは何かというテーマでの文章題が出された場合に関しては、ほとんどの場合ステレオタイプのようないい先生というのが決まって出されます。

 まぁ、保護者の人に聞くとこのパターンはすぐに思いつくと思います。

 大きく大別するとこのパターン

 1、厳しい中に優しさのある先生

 2,勉強だけではなくて将来にとって重要なことを教えてくれる先生

 3,どんなに生徒が悪いことをしても最後の最後まで見守ってくれる先生

 まぁ、だいたいこんなところだろうと思います。

 でもっとも欲出される先生のパターンが、厳しい中に優しさのある先生ということになるのですが、生徒に対して厳しく接するときには親友ぶつかるのだけれども、その裏側で先生はいつも生徒のことを想っていてくれていましたというどっかのドラマによくあるようなパターンでの終わりですね。

 ふたつ目のパターンとしては、勉強の授業の中で、ただ単語を教えるであったりとか、国語の読解を教えるであったりとかだけではなくて、人という文字は支えあっているから人なんだよ。といったように人としての大切なあり方をおとなになってからわかるように授業してくれている先生。

 3つ目のパターンとしては、例えば腐ったみかんは取り除かなければならないと言っている先生の発言に対して、どんなどうしようもない不良であったとしても、君たちは腐ったみかんじゃないと言って最後まで見捨てないでいてくれる先生のことですね。

 保護者の皆様の中には、わかった方がいらっしゃるかもしれませんが、いわいるあの先生のことですね。

 というわけで結論

 理想の先生のタイプは、金八先生だ。

 道化師「しかし、実際問題としてこれが今の日本の教育問題を象徴していることではあります。日本に限らず公務員というのは、決められたことを決められた手順で決められた方法でただただ義務にのみ従うというのが、公務員なのですが、この金八先生シンドロームのせいか、必ず、学校の先生にあまりにも過大な要求が言ってしまう。しかし、その課題な要求を対処する方法が、法律で決まっていない。法律で決まっていないので動けないという悪循環があります。」

 道化師「まぁ私は、学校の先生ではありませんので、あまりとやかくいうつもりはありませんし、文部科学省の役人でもありませんので、偉そうなことは言いかねますが、もう少し学校の先生の仕事の範囲というのを明確にしてあげないと、現場で働いていらっしゃる先生方はしんどいように思いますね。」

 松井塾塾長「だから、松井塾では、学校の先生の批判は禁止だ。松井塾の批判は、なんぼでもしてかまいませんが。」

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