2016年4月20日水曜日

本当は怖い日本国憲法(プログラム規定説)


どうもこんばんは道化師です。

さて本日は、社会権をプログラム規定説をとっている日本ということを題材にして授業をしていきたいともいます。

恐らく、あまりパターンとしては出されていないので、もしもプログラム規定説を入試問題に出すと混乱する可能性がありますが、注意してください。

プログラム規定説:憲法上に関する規定にたいして、あくまでも努力目標を示したものに過ぎず、法的拘束力を持たないということになる。

篠崎くん「これって、憲法すべての条文にあてはまるんですか?」

道化師「断定的なことは言えません。裁判所は、今までプログラム規定説を最高裁判所は取りますといったことは、一度もありませんが、判例の内容を見る限りは、プログラム規定説をとっている考えられます。日本はすべての条文に当てはめていると考えると妥当だと思われます。」

篠崎くん「道化師、これってむちゃくちゃやばくないですか?」

道化師「むちゃくちゃやばいですね。プログラム規定説に最高裁判所が考えているということは、どんな違憲裁判を国民が仕掛けたとしても、どんなにむちゃくちゃな法案が通ったとしても、あくまでも憲法に書かれていることは、努力目標にすぎないので、罰則もなければ怒られもしないということになりますね。」

道化師「だから、私は何度も言っているんですが、現行憲法を守るとか守らないとかが、議論の中心になっていますが、憲法で守らなければいけない権利を裁判所で守って欲しい場合は、正確な内容を正確な記述で、正確な執行方法まで書かないと、全部このプログラム規定説で弾かれてしまうんですね。つまり、このプログラム規定説・以前やった統治行為論・そして、抽象的すぎてわかんないこの三つの論理が存在する限り、永久に人権が守られることはないでしょう。」

篠崎くん「ところで、道化師は、今の日本国憲法で何が問題だと思っているの?」

道化師「基本的人権の項目かな?それ以外は、どうでもいいって考え方なんだよね。民主主義国家の最大の弱点は、多数者の少数者に対する暴力が一番厄介なんだよね。ところが、その問題をそうやって保護するのかという規定が全く無い上に、マスコミもいい加減に報道するから、いつまでたっても浸透しないよね。」

篠崎くん「それは、どういうことですか?」

道化師「差別やいじめって道化師は無条件で行けないと思うんだよね。多数による少数のいじめは絶対に行けないと思うんだよ。」

篠崎くん「そうですね。」

道化師「でも、ここのところマスコミを中心に主張の矛盾を感じる。」

篠崎くん「例えば・・・」

道化師「ヘイトスピーチはやめようと言いながら、米軍の家族や米軍関係者には暴言を吐く」

道化師「いじめをやめようといいながら、平気でオタクとか、ネット右翼なんて言葉を使う。」

道化師「いじめはやめよう・ヘイトスピーチはやめようといいながら、安倍死ねとか平気で言う。」

篠崎くん「あーーー確かに」

道化師「道化師は、どっちもダメだと思うんだ。デモの人をプロ市民と呼ぶのもおかしいし、ネットで書いている人をネット右翼と呼ぶのもおかしいし、韓国差別もアメリカ差別も沖縄差別もどれも変だと思うよ。」

篠崎くん「まぁ、そうですね。」

道化師「というわけでまぁ、憲法議論どうのこうのよりも国民一人ひとりが考えないといけないじゃない?」

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