2015年9月14日月曜日

伝統的スポーツのどのへんが伝統なんだ?


 どうもこんにちは、道化師です。

 本日は、オリンピックの種目になっている伝統スポーツは、実は昔の原型を全く残していないというところからスタートしていきます。

 オリンピック種目といえば、様々なスポーツを取り扱い伝統的スポーツを競技として取り組んでいるが、ちょっと待ってほしい。

 「果たしてそのルール元のルールと思いっきり変わってね?」ということがテーマになります。

 今回のような文章は大きく分けて2つの考え方によって結論が異なりますのでご注意ください。

 それでは、オリンピック種目の代表である、柔道から行きたいのですが、柔道の原型はもともとは柔術にある。例えばその頃の柔術には打撃系の技がまだまだある。今のような、柔よく剛を制す。どころか、相手をいかにして倒すかという戦国時代の頃に生まれたものである。しかし、それを平成の現代でも行おうというとおそらく競技人口が異常に減る上に、たぶんあっちもこっちも救急車呼ぶことになってしまう。

 そこで、柔道というものが、スポーツとして注目を浴びたと言っているが、ここでもいろいろ特別しておく必要性がある。「講道館柔道」と「世界柔道」これも同じく別のものと考える。前者は、日本の柔道を中心に考えられるが、後者は世界を中心に考えられるので、投げ技だけでなく、レスリングのような技を多用する選手向けとも言われている。

 ここで私が論じたいのは、このように現在言われているような伝統的スポーツは、実は昔のルールと全く同じというわけではないということである。

 そして、ここからが本題なのだが、これを英語や国語の読解では2パターンの結論の導き出し方がある。

 1,もっと伝統性を重んじるべきである。(伝統原理主義)

 この立場で、文章が書かれている場合、民族の持つ伝統文化は、そもそもとして価値があり、尊重すべきであることなので、様々な団体の思惑などがあるかもしれないが、伝統及び歴史的背景には敬意を払うべきである。よって、旧来のルールに戻すべきであるという考え方。

 正直、この意見を書いてくる大学は少ない。(特に英語の文章ではなおさら出てこない。)したがって、国文学などの場合は要警戒しておいたほうがいいだろう。
 
 2,時代とともに変遷していったことは興味深い(積極的肯定派)

 この立場が最も多い。時代とともに伝統的スポーツの変化は喜ばしいことである。お互いの国のことを鑑みたうえでルールを変更し、競技人口全体が増えることは、世界全体の相互理解と文化を通しての友好関係が築けることになる。また、グローバル化及び時代の変化とともにすべての物事を変えていくことは賛成である。

 というような論法で結論を導き出す場合が多いので、頭に入れておきましょう。

 というわけで、最後に・・・伝統伝統とはいうけれど、日本人は本当に必要な伝統を忘れていると思うのは気のせいでしょうか?「人間が一生懸命学び働くっていう伝統ね。」
「働かないのが伝統みたいな国も多いけど・・・・その国はどうなった????」

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