2015年9月30日水曜日

道化師の日本史(大和政権が成立するまで1)


 どうもこんにちは、道化師です。

 さて本日は、日本という形ができるまで、つまり大和政権ができるまでを中心に見ていきましょう。

 日本という形つまり天皇制が確立され始めてからを日本といいますが、それ以前の状況は、実はよくわかっていないという状況になります。

 したがって、まず基本的なことを覚えましょう。古墳を作りまくる。前方後円墳を作りまくる時期とその前で、別れます。では、本日は、前方後円墳が出来る前を中心に話をしていきましょう。

 日本人=倭人 日本についてわかっている書物:漢書地理志

 要するに、この頃に書かれている内容としては、中国(漢)という国で、

 漢の人「なんかしらんけど、東の方の国の倭っていう人々が住んでいるらしくて、100個ぐらいの国にわかれているらしいよ」

 はい、これで終わりです。日本って寒い国ですね。

 次に出てくる、日本についてわかっている書物:後漢書東夷伝

 内容:奴国っていう国の王様がいるらしいから、そいつらが、日本の支配を俺たちに認めてくれって言ってきたので、漢委奴国王ってかいた金印を渡してやったぜ。

 ハイこれで終わりです。この頃の日本と中国の格差は、半端ないです。これをわかりやすく説明するとマンチェスター・ユナイテッドのスタメン選手(中国)VSサッカーをやったことのない中学校の茶道部(日本)が、サッカーで対決するぐらいの差があります。いやもっとかも。

 そして最後にでてくるのが、魏志倭人伝にでてくるのが、邪馬台国の女王卑弥呼ということになります。邪馬台国の女王卑弥呼は、中国の三国時代の魏に使いを送り「親魏倭王」という称号を与えられます。

 そして、この卑弥呼を中心とする勢力邪馬台国は、狗奴国との激しい戦争の中で、死んでしまいます。この後を継いだのが壱与という女王になります。


 さて問題はここからですが、この後の様子が、実はわからなくなっています。これを空白の四世紀と呼ばれています。つまり、今の日本国につながっているものとして、ヤマト政権までは繋がることができるのですが、それ以前の奴国及び邪馬台国及び狗奴国と大和政権の関係はいまだによくわかっていません。

 道化師「ここで、一つ重要なことですが、この時代の特徴は、力による絶対支配これが基本の政策になります。従って覚えることが年代及び、国名ぐらいということになります。」

 

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