2015年9月16日水曜日

国とは何か?


 どうもこんにちは道化師です。

 本日のテーマは「国とはなんぞや」ということをテーマにおおくりしていきたいと思います。

 今日のポイントは、我が国は世界とは異なるとどの国の人たちも言いたがるというところにあります。

 本質的な、数学的な回答に立たせてもらうならば、国の定義とは、人間が勝手に引いていった境界線に出来たものということになる。

 しかし、異国の人間と自分とを人間は必ずと言っていいほど分けたがります。その結果戦争などへと突き進んだりするわけですが・・・・その源泉となる主張を見ていきましょう。

 1,歴史的に美しい国(国粋主義者)

 自分の国は、他の国と比べて歴史的文化的に見て優れているという考え方に由来する意見です。(ここで私は、歴史についての論争をするつもりは全くありません)

 こういった考え方に対しては、否定的な見解を述べるケースの大学が多いというのが現状です。だからといって、これを真っ向から否定して経済的な理由によるものが原因だとするように終わる読解もやはり少ない傾向にあります。

 よって、次のような文章展開になるケースが非常に多い。

 自分の国の歴史や文化を見ることによって、世界の国々とは異なるという考え方は極めて浅はかな考え方である。どこの国の状況をとってみても相互に依存し関係性を持ってきたことは歴史的に見て証明されていることである。したがって、自国の歴史的ツールや文化的ツールを見て、他国の人間に対して排他的になること自体が、危険なしそうであり、かつうがったもののみかたをしてしまうものである。

 よって、自分の国のツールに目を向けて世界の国々を批判するのではなく相互理解及び友好関係を構築できるように努力していこうとする姿勢こそが現代のグローバルエリートの求められる姿勢であるといえる。

 というような結論になる。そういう見方しちゃダメよって終わり方が多い。

 2,民族的に他の民族とは違う(民族主義者)

 これは、ナチスドイツがおこなった政策と全く同じ原理原則で動く。つまり、「広栄あるアーリア人である我々は勤勉であり優秀であるにもかかわらず、他国の第一次世界大戦の賠償金を払い続けるのはおかしいのではないか」というような論法である。戦争を行うなどの国民の戦意を高揚させるためには非常に友好な手段ではあるが・・・

 みなさんもわかると思うが、これを「大学受験の読解」で正当化する大学を私は見たことはない。

 もしこれが日本の大学で、でるならば、次のような意見になる。

 日本は、古来より単一民族の国ではない、民族的に閉ざされた中で生活してきたわけではない。渡来人・南蛮人を初めとして多くの外国の民族と交流してきたし、また、移住するということもしてきた。また、アイヌ民族なども日本には存在してきたことからもわかるように、単一の民族だけで構成されてきた社会ではない。

 民族というくくりだけで他人を差別するという行為は、非常に危険な行為である。人類のDNA鑑定から見ても最も遺伝的に遠いとされている民族であったとしても98%同室であるという観点から見ても、民族による区別はただの目印程度に過ぎないということは言えるでしょう。

 という形になります。つまり、現在の日本の大学の中での大テーマは「グローバル化」でありますので、一種の鎖国主義的な発想をするケースはほとんどありません。

 というわけで、道化師くんから「マルマル人だからうるさいとか、まるまる民族だから、おとなしいとかそんなことはない。うるさいやつはうるさいし、おとなしい人はおとなしい。偏見を持つと読解はときにくい。」

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