2015年9月17日木曜日

世界最強の国(モンゴル帝国)北条時宗その時の決断


 どうもこんにちは松井塾の松井です。

 本日のテーマは世界最強の国「元」が鎌倉幕府に襲来をテーマにおおくりしていきたいと思います。

 この時代、モンゴル帝国創始者チンギスハン地果て海尽きるまで制圧した男と言ってもいいでしょう。北はロシア西はヨーロッパ南は東南アジア中東地域まで制圧した男です。

 篠崎くん「すげぇむちゃくちゃやな」

 松井塾塾長「それでは、本日のお話は、モンゴル帝国文永の役 公安の役をテーマにお送りしていきます。」

 元寇 それはモンゴルからやってきた。

 1274年 某日 九州付近より

 事件名 文永の役

 鎌倉武士団「今日も異常ないっすよ・・・なんだあれ」

 海に広がる船団の数 総兵力数40000

 鎌倉武士団「ええい緊急配備につけぇ」

 鎌倉武士団「一大事ご報告申し上げます。北条時宗様大事大事」

 北条時宗「なにーこのクソ忙しい時に」

 鎌倉武士団「ご報告申し上げます、九州の海より、敵襲その数少なく見積もっても3万」

 北条時宗「すぐに戦時体制非常事態宣言。京都の防衛及び関東の武士団を召集」

 一方九州

 一騎打ちしか知らない武士たち。相手の先方は集団戦法と火器の使用という状況。

 この前のカードゲームで説明すると、いきなり神のカードを召喚されて先攻ダイレクトアタックをされるような状況に等しい。

 鎌倉武士団「前線に配置していた3部隊が壊滅しました。」

 九州部隊総大将「全軍一旦竹林の中に退却、ゲリラ攻撃に切り替える。」(注意この時代から奇襲攻撃はあったらしい。)

 そうこうしているうちに、元軍側に不備があり、一時撤退。

 鎌倉武士団「北条時宗様ご報告致します。元よりの使者が到着いたしました。」

 元からの使者「北条時宗殿元に服属すれば命のみ助けん」

 北条時宗「なにーいつどんな時の挑戦でもうけてやる。かかってこいよ。」

 篠崎くん「うわーすげー絶対降伏するところでしょう。このままだと負けちゃうよ」

 松井塾塾長「ところがそうでもなかった。この後絶対に負けられない戦いを北条時宗はどうしたのかを見ていこう。」

 北条時宗の策

 土の壁、石の壁で元の船を完全にブロック。弓矢の改良。集団戦法の習得。戦争に備えて完全な武装体制。農民までも駆り出すという日本全国をあげた戦争体制へと突入していくことになる。

 さて時は経過すること

 1281年 某日 九州付近

 事件名 弘安の役 元の勢力140000人

 日本に襲来する。

 しかし、こんどは、そう簡単には負けない日本軍。完全に制御された集団戦法。そして、闇討ち何でもありの状態。

 そこへ台風がきて壊滅した元軍との戦いに完全敗北してしまう元軍。

 しかし、この戦争の傷跡はひどいものでこの戦争の結果2つの国はともに悲劇的な運命をたどることになります。

 この時の日本の武士たちは相当怖かったようで、元の資料にはこのようにあります。倭の兵極めて凶暴で勇敢その強さ半端にならず、婦人の強さは甚だ気性が荒く恐怖するほどであった。たとえ百人の兵で十人の兵を囲んでも向かってくる。怯むことなし。万一撤退すれば倭王に殺される。従って何があっても退却しない。

 加えて土地も貧しい土地である。征服してもなんの意味もない。

 とのようにある。おそらく世界の人々の武士道なんてのはこの時代のことを言っているケースが多いのではないでしょうか?

 というわけで本日の結論

1,モンゴル帝国の元 集団戦法で日本を苦しめる。

2,そのモンゴル帝国に毅然と戦った男「北条時宗」

3,第一回日本進行作戦 文永の役(1274年)

4,第二回日本進行作戦 弘安の役(1281年)

5,日本を守った鎌倉幕府それでも滅ぶ鎌倉幕府それはまた別の話。最後に戦争は百害あって一理なし。それでも止む終えなかった時もある。

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