2015年9月18日金曜日

格差問題について(相対的貧困)


 どうもこんにちは道化師です

 さて本日は、相対的貧困についてお送りしていきたいと思います。

 本日のポイントは、相対的貧困について是とするのか否とするのかを中心に話を勧めてまいりたいと思います。

 まず、相対的貧困について、相対的貧困とは主に先進国の中で議論されるテーマの一つであるが、一方がすごい金持ちになっているのに対して、もう一方がすごく貧乏になっているという状況になります。

 この状態を、社会的に悪い状況とするのか、いい状況とするのかについてどっかの結論は変わってきます。

 まずは、悪いとする立場の人の論法で勧めていきましょう。

 相対的貧困は、悪である。

 まず、はじめに、所得の格差についての問題であるが、これに関しては、日本アメリカともに非常に大きな問題となっている。この時最も重要視されなければならないのが、相対的貧困によって引き起こされる、社会的損失について問題であると私は論じたい。

 1,相対的貧困に対する国民感情

 まず基本的に人間は、自分よりも多くの資産財産を築いているものに対しては、心情的に嫌悪感を持つ。この社会的風潮が強くなると、金持ちに対する風当たりがきつくなり、結果として高所得の人間も住みづらい世の中になるということ。また、本来人間は、万人に等しく人としていくる権利を付与されていることからもあまりに大きすぎる格差については容認できないとする。(格差反対の代表的意見です。)

 2,本来受けられるサービスを低所得者層が受けられない。

 前回もお話したこととかぶりますが、低所得者層の絶対的貧困が解消されているからといってそれがそのまま相対的貧困を容認しても良いということにはならない。相対的貧困の最大の問題点は、高所得者層が「昔はひえやあわを食べていたのに今は麦を食べられるようになったのだからいいだろう。」という意見があるが、本来は、「米を十分に食べられる経済状況であるにもかかわらず、麦を我慢して食べさせられている」ということが問題である。これは、強者の詭弁といいてもいいだろう。

 3,一度ついてしまった相対的貧困が世代を超えて永続的に持続する。

 これが一番問題とする人が多い。格差問題の最大の原因は、本人の努力にかかわらず世代を超えて永続的に引き継がれるということにある。教育費に支出できるもしくは大学教育を受けることができるためには、それなりの教育水準を提供できる家にすまなければならない。この状況は、一度親世代で貧困に陥ってしまった人は、好む好まざるとにかかわらず、高い教育水準を受けられないので、低所得層からの脱出を極めて困難になる。

 (高所得者層の大部分が、高学歴ということから、学歴を持つためには、勉強をする気かが与えられなければならないが、格差によって勉学にアクセスする機会そのものがないということ)

 4,そもそも、現在高所得な位置にいる人たちの大部分は高所得になる機会を得られた人たちである。

 そもそも、高所得に現在いられる人々は、親が、教育をする機会を与えられている状況という恵まれた生活環境に置かれた人々である。そのような状況にたまたまあった状況であるにもかかわらず、社会に対して相応の負担をしないということは、社会的に見ても容認できない。

 (これも統計的にはあたりです。一部不遇な状況から、のし上がってきたものもいますが、それでも基本的には、運、親の財力に起因する影響力を排除することはできない。)

 5,勝者と敗者による相対的格差容認は社会不安を引き起こす。

 相対的貧困が高まると人々に不平不満がたまるようになる。このことが治安の悪化スラムの形成テロへの助長へと発展していく。このように社会的暴力が多発し、社会的に混乱を生じる原因になるので相対的格差は、是正しておくのが望ましい。

 6,持たざるものと持つものとでさらに格差が加速する。

 資本を持つものと持たないものとでは、1万円を稼ぐ時間コストが大きく異なる。

 例えば、何も持たないものが、1万円を稼ぐには一生懸命労働をする以外に手段を持たないが、数億円の資産があるものからすれば、不動産収入・株の収入・銀行の利息など労働をしなくとも手に入るケースが非常に多い。このことからも、一度ついてしまった格差は、不平等であるということ。(古典的な経済学的な批判ですね。遡るとマルクスぐらいから主張されています。)

 以上が、格差問題(相対的貧困を肯定する立場からおおくりいたしました。)

 次回は、相対的貧困を肯定する立場からお話していきましょう。

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