2015年9月27日日曜日

大名制度の導入(徳川幕府)


 どうもこんにちは、松井塾の松井です。

 さて本日は、江戸幕府の大名についてやっていきましょう。

 題して「親藩・譜代大名・外様大名」の3つを中心にやっていきたいと思います。

 それでは、まずは親藩から

 松井塾塾長「ストライク・ボール・バッターアウト」

 江戸川区ん「先生のダジャレがバッターアウト」

 1,親藩について

 それでは気を取り直して、親藩からご説明していきましょう。

 親藩というのは、将軍になることのできる徳川家の中でも特別な存在になります。

 場所としては、紀伊・水戸・尾張の3つの徳川家からしかなることができません。

 ある意味で、徳川幕府のストライク・ボール・アウトの審判をすることができる存在。

 それが、親藩の大名たちということになります。

 江戸川区ん「先生これでツーアウト」

 2,譜代大名について

 譜代大名とは、江戸幕府ができた中でも、信頼のできる大名たちのことを譜代大名といいます。具体的には、1600年の関が原の戦いよりも以前の段階から徳川家の仲間だった勢力についていいます。

 昔から仲が良かったからちょっとのことは大目に見てあげよう。

 そんな感じなのが、譜代大名というポジションになります。

 篠崎くん「なんか、スネオみたいなポジションですね。」

 3,外様大名について

 外様大名とは、関ヶ原の合戦のあとから仲間になった大名たちのことをいいます。

 この人達は、昔から徳川家に従っていたわけではありませんので、あまり信用ができません。そのため、徳川家の要職からは外された形になっています。

 よって、東京からは遠い遠い地域に配属されていたり、重い負担を課せられたりという、最悪な状況に追い込まれてしまいます。

 だから豆まきの時によくいいますね、

 譜代大名はうち外様大名は外なんてね。今のは江戸川区ん

 江戸川区ん「スリーアウトチェンジ」

 というわけで結論

 1,徳川幕府には3つの大名があった。親藩・譜代大名・外様大名

 2,仲がいい順番に、親藩(将軍になれる特別な人々)・譜代大名(比較的仲の良い人たち)・外様大名(仲が悪かった人たち)

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