2015年9月5日土曜日

頭だけ鍛えてもやっぱりダメ???


 どうもこんにちは道化師です。

 本日のテーマは大学がかかえる問題「頭だけ鍛えてもダメ?」

 をテーマにお送りしていきたいと思います。

 大学受験までつまり受験においての突破の方法は、基本的には暗記・暗記・暗記の作業で何とかなるケースが非常に多い。(近年の大学ではそれを回避するように面接を導入してみたり、コミュニケーション能力の向上に努めてはいるが・・・)

 これが実は最大の問題を引き起こす。という検証結果を例に読解テーマを読み解いていきましょう。

 様々な研究があるのですが、数学・国語・物理などの分野に非常に力を入れている学校及び地域がありました。その地域での進学率は非常に高くまた、(学問的には)優秀な生徒がたくさんでてきましたが、しかしである。

 彼らのほとんどが途中で中退してしまうという現状になってしまいました。

 これはなぜか?

 頭を鍛えすぎる罠にかかってしまうというものによるものです。

 一般的に言われていることとして、優秀な人間が陥りがちな現象はこちら。みなさんの職場・学校そして自分自身に置き換えてみてはいかがでしょうか?

 1自分が優秀すぎるということを認識できないため相手に伝わらない。

 この人たちは、自分が極めて優秀だということに認識できません。自分を普通の人々だと思い込んでいるので、他人も同じくらいの能力を持っているだろうという感覚で話を勧めていくので、周りから何を言っているのか理解されず孤立してしまい、中退するなどといった現象があらわれる。

 2勉強はできるがコミュニケーション能力がない。

 この人たちは、みんなで遊ぶ喧嘩するなどの行為が少ないため、この人はこれ以上言ったらおこるなぁーとか不愉快に想うだろうなぁーといったことがわからず、常に正しいことを言い続ける癖があります。その結果KYとして認識されやすくなります。

 3自分が勉強ができるため、勉強ができない人のことをバカにする。

 この人たちは非常にやっかいなのですが、勉強ができない人を馬鹿だといって考えるのをやめてしまうため、仕事場などでは周りからの協力を得られず成果を上げにくくなったりするかも知れません。

 4勉強をすることを当たり前努力することが当たり前だという考え方を持っているため、努力しない部下を見ると必要以上に怒りすぎる。

 優秀な人の多くは、努力していません。ここを普通の人の言うところの努力していませんと同じ考え方をしてはいけません。その程度の努力のことを”そもそも努力とさえ思っていない”ということにある。ここでズレが生じます。部下は、自分の能力の限界まで努力している”努力しているつもり”になっている。ここで、人を使うという意味で優秀な人は、それを理解したうえでアドバイスするが、そうでない人は、部下にイライラする。結果、陰口を叩かれたりして、俺の言っていることが伝わらないなどとなったりするのでしょう。

 5自分の頭で考えたデザインが、一般の人々には理解できない。そしてそれを許せない。

 自分が便利だと思っているもの、自分が素晴らしいと思っているものが高度すぎて、普通の人には理解できないということになります。ゲーム産業などで起きたのがこの現象で、内容が複雑すぎてゲーム離れが起きてしまうなどの現象があります。

 さて、ここまでみてきてこういったことに対してどういう対処をすればいいという結論になるでしょうか?

 多くの読解パターンはこちら「コミュニケーション能力をあげよう」とか「性格の偏差値をあげよう」とか「勉強だけではなく他人と触れ合うことをもっと多くしましょうという結論が多い。」

 それでは、今日は結論の一つである。「性格の偏差値をあげよう」から

 一部の海外の学校ではすでに導入されていることではあるが、学問的なことだけではなくて、その子どもたちの生活態度・コミュニケーション・道徳心などを評価対象に入れようと言う試みがあります。その子が、きちんと手伝いをしてくれるかとか他人との協調性があるかとかそういった分野を指標に入れようと積極的にプログラムしようとしているらしいです。それは素晴らしいですねという結論でだいたい終わります。

 ただしここで付け加え「このプログラムは未だに成功事例がほとんどありません。」「成功事例でも他の場所でやると全く異なった結果が出たりします。」というわけで、道化師くんから一つだけ「学校にあまり多く求め過ぎではないでしょうか?」「学校には限界がある。」そしてこれを読んでいる人たちには、勉学は、座って問題を解くだけが勉強じゃなくて、いろんなことに興味を持ち考え実践していきましょう。

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