2015年9月1日火曜日

貧困は教育にまで及び格差が連鎖する

 
 どうもこんにちは道化師です。

 本日はひとつのテーマを様々な角度で検証していきます。

 本日のテーマは「貧困と教育」なんですが、問題は、社会科学人文科学と経済学ではこの教育に対するアプローチの仕方がまるで異なるということをみなさんは頭に入れておきましょう。

 それでは、社会科学の貧困と教育問題について

 まず、貧困家庭と教育費の問題はわかるとおもいますが、貧困であると教育費を捻出することができない。

 しかし、貧困家庭の子供が教育水準が低いのはもっと別の問題点があるという切り口から人文科学の場合はせめて来る場合が非常に多くあります。

 例えば、高所得の親から生まれた子どもは、たくさんの言葉に触れる機会が多い。

 実際の例では、法律家の息子に生まれた場合は、そこらへんに法律の本などがあり、生まれながらにして様々な言葉に触れることができる。

 その結果として、語彙力、読解力、想像力などが身につける機会が多くあるのに対して、貧困家庭に生まれた子どもは、語彙力、読解力などにおいて学ぶ機会が幼少期にあまり存在しないという問題が発生してしまうというもの。

 この問題の解決の方法としては、幼少期の教育プログラムの変更にあると考えるのが社会科学のアプローチの仕方。幼児教育プログラムなるものを貧困家庭にも施し生まれながらの格差についての是正を促していこうというものである。

 実際問題として、貧困家庭ではそういうアプローチ方法そのものがわからないので国がそれを行うことによって一定の成果が上がっている国も存在することは確かである。

 また、社会科学的なアプローチとしては、富裕層の家庭は親が子どもに話しかける時間が多くあり、他方貧困家庭では、子どもとのアプローチの時間が著しく少ないといった問題が指摘されている。ここで重要なことは、親と子どものコミュニケーションの時間を増やすべきであるという結論である。

 つまり、社会科学の貧困と教育へのアプローチ方法は2つ

 「幼児期の発達に違いが見られるので国がそれを支援する枠組みを作りましょうという結論」 「幼児期の発達には親と子のコミュニケーションが大切なので親と子どものコミュニケーションをとりましょうと言う結論」にいたる。

 さて、本日は、このアプローチ方法の問題点も同時に考えられるようになりましょう。

 「物事は常に反対の意見と賛成の意見が言えるようになるのが受験では望ましい」

 一点目の「幼児期の発達に国が関与する場合」どういった子どもが理想的な子どもかということを特定することが非常に難しい。勉強ができて親の言うことを聞いてというだけでは、果たして貧困の連鎖を断ち切れるのか?これほどスピードが早く変わる社会においてそのプログラムは有効なのか?また、有効だとしてもいつまで有効かわからない。

 二点目の「親とのコミュニケーション不足」については、貧困家庭の多くは共働きまたはシングルマザーなどのケースもある。そのような場合に物理的にそのような時間を作ることが果たして可能なのかという問題。などがあげられる。

 このあたりが、反論意見の主なところとなる。

 大事なことではあるが、こういった考え方を自分なりに考えてみることも頭の体操として必要。「常に自分の頭で考える。そして、結論を出す。そして、その結論を疑え。」

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