2015年9月16日水曜日

鎌倉幕府(将軍がいなくなり執権が残った?)


 どうもこんにちは松井塾の松井です。

 本日のテーマは、鎌倉幕府「執権の政治」についてお話させていただきます。

 篠崎くん「執権ってなんですか?」

 松井塾塾長「源頼朝は将軍だったよねそれを補佐する役割として置かれたのが執権という役職」

 江戸川区ん「なんか、摂政や関白の時とよく似ていますね。」

 松井塾塾長「正解その通り。それでは、実際に見ていきましょう。」

 執権とは、鎌倉時代に置かれた役職の一つです。役割は、征夷大将軍をお助けするという役割。

 しかし、実際には、この人たちが実権をにぎり、政治を裏で操ることになる。

 それがいわいる、執権政治と言います。

 篠崎くん「なんか反発の出そうな政治体制ですね。」

 そう、だから当然反対勢力が現れる。後鳥羽上皇だ。

 江戸川区ん「昔懐かしい、院政の復活ですね。」

 そういうことになります。では、実際の状況を見ていきましょう。

 北条執権グループVS後鳥羽上皇承久の乱1221年

 後鳥羽上皇「いま、この日本を支配している北条氏には、正当性がないゆえに我々後鳥羽上皇グループに対して、今一度のチャンスと暑い声援をお願いしたい。」

 支持率急上昇中の後鳥羽上皇

 ここで、北条氏グループ最後の切り札を投入源頼朝の妻北条政子の演説

 北条政子「皆のもの、あなた方は、源頼朝の御恩を忘れたのですか、忘れたのであれば、後鳥羽上皇のもとにいってもかまいません。しかし、今一度源頼朝の御恩を思い出していただけるのであれば、後鳥羽上皇という逆賊を討ち果たしなさい。」

 という、ここで、政治的に大事なことは、北条氏VS後鳥羽上皇という矛先から、源頼朝に愛された武士団VS貴族の集団という図式にすり替えを行ったところにある。

 篠崎くん「なるほどー、武士団VS貴族ということにすれば民衆は支持しますね。」

 というわけで、後鳥羽上皇は敗北し、六波羅探題ができるという流れになる。

 結論

 1,源頼朝の死後実権を握るのは、執権(北条氏)この政治体制を執権政治という。

 2,承久の乱1221年 後鳥羽上皇VS北条氏の戦いに北条政子の活躍により、北条氏グループの勝利に終わる。

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